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泉 麻人のたのしい広告採集

「玉の肌石鹸」って?(東京都港区JR浜松町付近)

泉 麻人

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イラスト/蛭子能収

前回、羽田のポンジュース看板を取りあげたけれど、あれを見ると連鎖的に思い浮かんでくるのが、山手線の浜松町近くの線路端に掲示されている「玉の肌石鹸」のネオン看板だ。古めかしいシンプルな質感のもので、もう何十年も張り出されているような気がする。もしや、あの看板の場所に会社や工場があるのか?と思って、以前調べに行ったことがあったけれど、周辺にそれらしき施設はなかった。

東京はちょっと目を離したすきに、あっと思うような物件が消えてしまう街だから、この看板も安心できない。久しぶりに実地調査へ向かった。浜松町の芝側に出て、線路脇を田町の方へ歩く。首都高のたもとに「縄定」なんて屋号を出した古い船宿が見えるが、店裏を流れる古川の沿岸は昔から釣船の溜り場として知られている。その左手に口を開けたJRの低いガードをくぐりぬけ、東芝のオフィスの方へ行くプロムナードを通って、公園先のガードから再び芝側の方へ戻ってきた。

ビジネスホテル脇の斜めの路地が線路に突きあたって、数十メートルばかり線路と並行する一画、お寺の裏門の脇の外壁に「玉の肌石鹸」は健在だった。ネオン管に赤や青の縁取りが見られるが、ひと頃までは確か色づけなしの白いネオンではなかったか?とはいえ、看板の構造は昔と変わらない。しかし、この看板が取り付けられた場所、ただの壁ではなく、奇妙に薄っぺらい形状をした2階建てモルタル造りの建物なのだ。小さなアパート風だが、誰か住んでいるのだろうか...。

ともかく玉の肌石鹸、ネットで調べてみると、本拠は錦糸町の南方(墨田区緑)にあり、芳誠舎の名で明治25年に創業。「玉の肌」銘柄の石鹸は大正時代から販売されているらしい。さらに、僕の世代には懐しい、あの「ミツワ石鹸」のブランドは現在ここが取得しているのだ。可愛らしい鯛を象った、いまどきの女子ウケしそうな石鹸もある。浜松町の渋い看板とは裏腹に、けっこう新しいことをやっている企業のようだ。

ちなみに、看板が設置された時期について、電話で問い合わせたところ、「昭和30年代頃」というアバウトなことしかわからなかった。が、高架線をモノレールが通るこの地から察して、東京オリンピックに来る観光客を狙って、開通時の昭和39年頃に設置されたのではないか?と僕は推理する。

泉 麻人(いずみ・あさと)氏

1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京を中心とした街歩き、現代風俗を中心に著書多数。著書に『東京考現学図鑑』(学習研究社)、『昭和切手少年』(日本郵趣出版)など。近刊は箱根駅伝のコースを踏破した散歩エッセー『箱根駅伝を歩く』(平凡社)がある。

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