メディア研究などを行っている大学のゼミを訪問するこのコーナー。今回は椙山女学園大学の栃窪優二研究室です。

栃窪優二研究室のメンバー
DATA | |
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設立 | 2007年 |
学生数(2022年度) | 3年生12人、4年生12人 |
OG/OBの主な就職先(2022年度卒業生) | クリーク・アンド・リバー社、映像・テレビ制作会社、ケーブルテレビ局、一般企業(総合職)、公益財団法人 など |
椙山女学園大学文化情報学部では、現代社会に求められる幅広い知識と情報活用の実践力を身につけることができる。ITスキルや社会ネットワーク、メディア情報などを学べるほか、図書館司書や教員免許(情報)などの資格も取得が可能。このうちメディア情報学科では、映像やデジタルコンテンツ、メディア社会、メディアコミュニケーションなどが学べ、学内には映像収録用のスタジオなど充実した教育設備も備えられている。そのスタジオを拠点に研究・活動しているのが栃窪研究室だ。
地元のパートナーが満足するレベルが必須
「映像は社会を大きく変える可能性を秘めています」と話す栃窪優二教授。同研究室では、社会情報を映像で伝える活動を実践しながら、映像ジャーナリズムを中心としたメディア研究に取り組むことを目標としている。
具体的には、名古屋市や東山動植物園、東日本大震災・石巻、地域文化・仏像などの映像制作プロジェクトを組織し、ゼミ生は複数プロジェクトに参加する形で活動・研究を行う。
プロジェクトでは、原則、共同制作者となる地元の行政や企業の担当者が企画を担当するという特徴がある。このため、これらのパートナーが満足する映像をつくり上げることがプロジェクトの絶対条件になるという。
映像制作においては、企画・構成のほか、カメラ撮影や映像編集、リポート・ナレーション、音声・選曲、CG作成など広範囲な専門スキルが求められるが、ゼミ生はディレクターの立場ですべての工程を担当する。「学生にとっては、非常に厳しいプロジェクトですが、教員がきめ細かく指導を行い、当初の企画に沿った映像に必ず仕上げます。こうしたゼミ活動は社会貢献にもなっています」(栃窪教授)。
映像制作を行う同研究室は、他ゼミと比べ活動時間や拘束時間が長いが、映像好きな学生にとっては、達成感を得られる貴重な体験ができる。また、最近では、就職活動で学生が自分で制作した映像をアピールしやすい環境があると同教授は話す。一般企業においても、ゼミで制作・公開した映像が面接等の場で話題になるケースも多いという。
テレビ報道の現場さながらの厳しい取材も
栃窪教授が最も印象深かったと話すのは、宮城・石巻市のプロジェクトだ。震災直後の2011年4月末から石巻で撮影を開始。教員とゼミ生の力を結集し、2022年度までに100本を超える映像記録シリーズやドキュメンタリーを取材・制作し、当初の目標を達成した。
1年目のシリーズ映像5本を再構成したドキュメンタリー「心の復興・石巻の願い」は「地方の時代」映像祭で入賞。被災した小学校を追って2021年に制作したドキュメンタリー「大川小・小さな命の意味」は、同映像祭で優秀賞を受賞した。
このほか、2014年には東山動植物園と共同制作したドキュメンタリー「アジアゾウの誕生」が科学技術映像祭で入賞。この映像は大学YouTubeで再生回数250万回を突破している。2022年には同大学・看護学部と共同でがん患者家族の思いを伝えるドキュメンタリーを制作。「看護学部とのドキュメンタリーでは取材現場で涙を流すゼミ生もいるなど、テレビ報道の現場さながらの難しい取材場面もありました」。
ドキュメンタリーや映像作品では、「間違った情報や誤解を招く表現は許されない。また、映像を1人で制作することはできない一方、自分1人で決断しなければならない場面もある」と栃窪教授。「学生には、ゼミ活動を通して企画力やコミュニケーション能力、バランス感覚、判断力を磨いた上で、社会にメッセージを伝える意味や大切さを考えてほしいですね。制作者の伝えたいメッセージをしっかりと受け止められる映像クリエイターに育ってほしいと願っています」。

震災被災地・石巻での取材の様子(2014年)

ナレーションを収録しているところ(2022年)
被災地・石巻に対し何もできなかった無力感から
震災プロジェクトを発動
テレビ局勤務の30代後半に大学院へ進んだ栃窪教授。東北大学でゲスト授業を担当するなどして50歳を過ぎ、自由な立場で映像と向き合いたいと椙山女学園大学の教員に転身した。その4年後に約1万8000人もの犠牲者を出した東日本大震災が発生。報道現場に出ることもできず、被災地のために何もできない無力感に苛まれたという。
宮城・石巻市は、テレビ局時代に支局駐在記者として2年間勤務した第二の故郷。メディアの伝えない被災地の情報をゼミ生と一緒に映像で発信できないかと震災プロジェクトを立ち上げた。
それから12年。映像記録シリーズは109本まで制作・公開している。「ゼミ生には、プロジェクトを通して他大学では学べない映像ジャーナリズムの貴重な実践指導ができたと考えています。今後は、地域文化・仏像などを紹介する映像発信にも力を入れていく予定です」。

栃窪優二(とちくぼ・ゆうじ)教授
宮城県の民放テレビ局・仙台放送で記者やディレクター、報道デスク、放送部長などとして、30年間ニュース番組やドキュメンタリー制作に従事。2007年4月から椙山女学園大学准教授となり、ジャーナリズムや映像制作関連の指導を行う。2009年同大学教授となり、現在に至る。