日本唯一の広報・IR・リスクの専門メディア

           

広報担当者の事件簿

廃れた地方の温泉地 再生に向けた広報施策〈前編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    国内で5本の指に入る湯量が売りの石鍋市。かつて多くの人で賑わった温泉地も、バブル崩壊後は人の流れが途絶えていた。観光協会の大佐古茂と姫川雄太、アルバイトの川北夕子は危機感を募らせる。そしてある日、大佐古は商店街組合の理事会である提案をする。それは2日間で1万人を呼ぶイベントの開催だった。

    ©123RF.COM

    日常に活気を取り戻したい

    雨が降っているせいか歩く人の姿はほとんど見当たらない。商店街のアーケードに雨音だけが響く。「今日は開店休業ですかね」「バブルの頃は観光客で溢れていたんだけどなあ」あきらめた表情で大佐古茂が昔を懐かしむ。「その話、耳にタコができました」姫川雄太が苦笑する。大佐古から、かつては温泉地として賑わっていたと何十回も聞かされていた。

    国内で五本の指に入る湯量が売りのこの温泉地には年中、観光客が押し寄せたという。「連日、テレビの旅番組やバラエティー番組の撮影対応に追われたこともあったんだぞ」この言葉も何度となく聞かされた。観光客が押し寄せて、パンフレットの印刷が間に合わないほどだった話も。

    一九八〇年代後半から地上げによる土地価格が高騰し、不動産業者はもちろん個人も銀行の融資を受けて土地やマンションを購入しては売却し利益を得た。バブル経済である。投機を行う人口が爆発的に増え、バブルに包まれた経済は右肩上がりとなった。八九年の年末、東京証券取引所の大納会では終値として最高値となる三八,九一五円八七銭をつけた。

    東京や大阪などの大都市では人の熱量が充満し、一万円札がそこら中で舞う時代でもあった。ブランドものの服に身を包んだ老若男女が夜の街に毎日繰り出しては熱狂し、終電がなくなれば躊躇いもなくタクシーに乗り込んだ。週末ともなればどこのホテルも満室。その熱は全国に波及し、温泉地やスキー場、ゴルフ場も例外なく活気に満ち溢れていた。

    日本の活況がこのまま続いてほしいと誰もが思っていた矢先の九〇年後半から、泡がひとつずつ割れ始める。土地の価格や株価は暴落し、銀行融資は焦げつく事態に陥り、日本から活気が失われた。あれから三〇年。バブルが霧消して以降、この街に活気が戻ってくることは一度もなかった。

    「誰も歩いていないですね」通りの向かいにある老舗菓子舗の店頭では、温泉饅頭が入った蒸籠から湯気があがっている。誰もいないのにあの饅頭はどうするんだろう、と姫川は余計なことを考えてしまう。

    そのとき、机上の固定電話が着信を告げた。たまにしか鳴らない電話が鳴ると、思わずビクッとしてしまう。軽く深呼吸をしてから姫川が受話器に手を伸ばす。「石鍋市観光協会です」相手がイベント会社の名前を告げる。知らない会社だった。観光地を盛り上げるイベントなら任せてほしいという話を半ば聞き流す。

    来年のイベント開催が決まってから一週間の間に二社から提案を受けたが、どちらもありきたりの内容だった。“栄光よ、もう一度”の思いは姫川にもある。観光協会が中心になって盛り上げたい気持ちももちろんあった。温泉のある観光地はどこも疲弊している。商店街からも人の流れが途絶えている。電話をかけてきたイベント会社は、全国の観光地で音楽イベントや昔懐かしいお祭りを開催しているという話だった。電話を切った後、イベントを実施した地域の観光協会に電話で聞いてみた。

    「あそこはやめたほうがいいですよ。企画内容と実施内容がまるで違いました。一日三千人の集客計画だったのに、結局百人も来なかった。報告書で言い訳めいたことを書いていましたけど、完全に騙されました。市民の税金を捨ててしまったようなものです」いくつかの観光協会に問い合わせたが、答えは似たようなものだった。

    「どうだった?」大佐古が聞いてくる。「詐欺みたいなものですね。補助金目当てじゃないですか」電話の内容を詳しく説明した。「なるほど。うちは気をつけないとな」「でも、このままじゃ廃れていくのを見てるだけになりますよ」姫川が吐き捨てるように言った。

    二人しかいない観光協会だった。大佐古が事務局長で姫川は事務課長。週に二日、アルバイトの川北夕子が受付業務を手伝ってくれているが、所詮その程度の業務量しかない。ただ、三人とも危機感だけは持っていた。

    「過去の成功を引きずり胡坐をかいたまま、我々は何もしてこなかった。だから新しいアイデアもない。チャレンジすることを恐れ、商店街も観光協会も市も昔話で気を紛らわせている。全員で昔を取り戻しませんか!」つい一か月前、商店街組合の理事会で大佐古が熱く語ったことがある。

    「どうやってやるんだよ」組合の理事の一人が口を開くと「言うだけなら誰だって言えるさ。ならお前がやってみろよ」嘲笑しながら不満をぶつける理事もいた。「コロナが収まればまた戻ってくるだろ」コロナ前から観光客の減少が止まらないことに目を背ける理事までいる始末だった。「このままでは、この温泉街は必ず廃れてしまいますよ」澱んだ空気の中で大佐古はあきらめなかった。

    「なんだと!ここで商売しているのは俺たちだ。街を活性化させるのは市と観光協会の役目だろうが」理事の一人がまくし立てる。「皆さんも一緒になって考えましょうよ」確かに市も我々も動いてこなかった。誰も見ないような...

あと60%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

お得なセットプランへの申込みはこちら

広報担当者の事件簿 の記事一覧

廃れた地方の温泉地 再生に向けた広報施策〈前編〉(この記事です)
一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈後編〉
一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈中編〉
一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈前編〉
苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈後編〉
苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈中編〉
広報会議Topへ戻る

無料で読める「本日の記事」を
メールでお届けします。

メールマガジンに登録する