日本唯一の広報・IR・リスクの専門メディア

           

広報担当者の事件簿

一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈後編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    子会社の内部告発により、取引先の顧客データの流出と不正売買が明らかになった大阪データ通信。広報室の香川涼介は、三ノ宮新聞のエース記者・富樫健太郎からメディアに告発文が届いていることを告げられる。一方、事件の関係者を集めて事実確認を行った広報室長の広重亮二は、密かにある覚悟を決めていた。

    ©123RF.COM

    覚悟を決めた者の強さ

    「間違いないんだな?」デスクの松川力也は、石橋を叩いて渡ることで知られている。ときには石橋を叩いて割ってしまうことから“叩きの松川”というあだ名がついている。

    かつて後輩の記者が足で稼ぎ、一晩かけて書いたネタを「もっとウラを取ってこい」と突き返し、翌日の朝刊で他紙に先を越されたことがある。原稿を突き返された後輩は激怒し、当番デスクが松川の日には原稿を上げず、他のデスクが当番の日を狙って上げるようになった。

    「サラリーマンは辛いね。自分じゃなにも決められない」ポツリと言ったその後輩はいま、フリーになって新聞連載を持ち、雑誌、インターネットニュースサイトでも毎週記事が掲載されている。同僚からも後輩からも信頼されていない松川の姿を見ると哀れさを感じずにはいられない。なぜデスクという管理職に就けたのか不思議だが⋯⋯富樫健太郎の脳裏に掌をこすり合わせる松川の姿が思い浮かぶ。

    「もう少し確実なウラを取ってからだな」コイツにとって、石橋を叩いて渡れるネタでない限りは出世の足かせになるのだろう。「⋯⋯分かりました」何を言っても無駄だなと思い引き下がると、上着のポケットに振動を感じた。

    「富樫です」「大阪データ通信の香川です」今しがたまで話題にしていた企業の広報担当者の声が受話口から聞こえてくる。「どうしました」「これからお会いできませんか」“動いた”記者の勘が告げる。現場を駆けずり回っている記者には本社に自分の席などない。三ノ宮新聞の名刺は持っていても単なる肩書にすぎない。“記者の席は現場”が持論だった。「どこにでも伺いますよ」香川が指定した場所を確認すると急いでエレベーターのボタンを押した。

    日が暮れる頃には着物やドレスに身を包んだ女性たちが出勤してくる北新地。昼間に歩くと、夜の顔との違いに違和感すら覚える。ここだなと呟き一階のフロントで部屋番号を尋ねる。エレベーターで三階に上がり、細い廊下を歩きながら番号を探す。最奥の部屋のドアに嵌めこまれたガラス越しに中を覗き、香川の姿を確認してドアを開ける。

    「こんなところで申し訳ありません」富樫が入ると香川が立って謝ってくる。「いやいや、大丈夫です」「ホテルのロビーでは誰かに見られるかもしれないので⋯⋯」北新地のはずれにあるカラオケボックスを香川が指定してきたとき、ウラが取れる情報を用意しているなと感じた。

    テーブルを挟んで向き合うと、香川が二人分の飲み物を注文する。従業員が飲み物をテーブルに置いて出ていくと、香川がマスク越しに息を深く吐くのが分かる。香川がテーブルに資料を置いた。「拝見してもよろしいんですか」香川が首肯する。富樫は手に取り、読み終えるとゆっくり息を吐いた。

    そのとき部屋のドアがノックされ、男が一人入ってきた。初めて会う男だが、香川の態度を見ると上司のようだ。「当社の広報室長です」香川が紹介すると「広重です」と名刺を差し出してくる。「いやーこの季節になっても相変わらず暑いですねえ」ハンカチで顔の汗を拭う。広報室長まで来るということは会社として何かを伝えたいのだろう、と解釈する。

    「事実を書いてください」広重亮二が真面目な口調になり富樫を視る。「ここに書いてあることは事実なんですか」富樫がテーブルにある資料に視線をやる。「⋯⋯お恥ずかしいですが、事実です」広重が少し間をおいて答える。

    「この週末、北梅田サービス、山野辺セキュリティシステムの社長、担当役員、担当部長を呼び事実確認を行いました。これまでの事実関係はもちろん反社(会的勢力)との関係、データ漏洩に至った経緯等々。それをまとめたのがこの資料です」広重が資料に視線を送る。「なぜ私にこれを?」テーブルから資料を手に取り富樫が訊く。香川が広重を見やる。広重の深呼吸が富樫まで届く。

    「膿を出したい、その一点です。これは愚痴になりますので聞き流していただいて構いません。この週末の議論で我々広報室はすぐにでも発表すべきだと進言しました。個人情報をはじめ企業の重要データをお預かりする立場として、臭いものに蓋をすることは隠ぺいに他ならないと。一部の役員は賛成の声を上げましたが、肝心のこれが」広重が親指を立てる。

    「発表はしない、と。不祥事を隠すことなど無理だということは私でも分かります。SNSがこれだけ氾濫している時代です。誰でも発信者になれますから。不祥事は知ったらすぐに公表する、これが今の世の中には必須なのではないかと」「その通りですね」広重の説明に富樫がうなずく。

    「公表すれば取引先との関係は絶たれるでしょう。これはそれを恐れている。自分の立場も失いますからね」広重がさっきと同じ指を立てた。「ほかの役員や北梅田、山野辺の役員連中も同じです。自分の立場しか考えていない。皆、穏便に済ませろ、広報は余計なことをするなと言うばかりです。この期に及んで恥ずかしいことですが⋯⋯」「他社から...

あと60%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

お得なセットプランへの申込みはこちら

広報担当者の事件簿 の記事一覧

一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈後編〉(この記事です)
一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈中編〉
一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈前編〉
苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈後編〉
苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈中編〉
苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈前編〉
広報会議Topへ戻る

無料で読める「本日の記事」を
メールでお届けします。

メールマガジンに登録する