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広報担当者の事件簿

一瞬で崩れ去る企業の信用 最終責任者としての役割〈前編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    創業から40周年を迎えた大阪データ通信。銀行やクレジット会社などの顧客情報管理やセキュリティシステムの開発を手がけている。静岡支社から大阪本社の広報部へ単身赴任中の香川涼介はある日、同僚の名志村仁と立ち寄ったカフェで、システム開発部の社員の「データが売られている」という言葉を耳にした。

    ©123RF.COM

    責任は、すべてうちにある

    ここ数日の涼しさは二カ月前の酷暑を忘れてしまうほどだ。夜ともなるとジャケットを羽織らなければ海風で体が冷えてしまう。屋台からおでんの匂いが風に運ばれてくる。

    「中洲はこうでなくっちゃ」谷川俊哉が屋台を横目で見ながら顔をほころばせる。「おー、ここだ」何軒か通り過ぎた先に目当ての屋台を見つけると嬉しそうに目を合わせてくる。福岡に来るのは五年ぶりだった。「年に数えるほどしかない出張だぞ。中洲で飲んで行こうや」「ホテルにチェックインしてからにしないか」舛田風馬が鞄の持ち手を握りなおす。

    谷川が鞄に目を向ける。「たいした荷物でもないだろ」中には一泊分の服の替えと取引先から預かったケース、あとは手帳や財布などの小物しか入っていない。「俺が持っておいてやるよ。ケースが気になるんだろ?」「そりゃそうだろ」谷川のおどけた言い方に舛田が気色ばむ。「大丈夫だって。じゃあ、俺が持っておいてやる」谷川が右手を出した。

    中洲の雰囲気を肌で感じてしまうと、往復三十分かけてホテルにチェックインするのが面倒に思えてくる。そんなに遅くまで飲むわけではないし大丈夫だろうと舛田が鞄からケースを取り出す。谷川はサッと鞄にしまい込む。不安と安堵が舛田に交錯する。「じゃあ頼むわ。失くすなよ。大変なことになるから⋯⋯」「大丈夫だって」谷川が口もとで笑う。二人は中洲の夜に溶け込んでいった。

    「暑いなあ」熱風が顔を撫でる。自宅のある吹田から梅田までの通勤はサウナの中にいるようだった。ここ二年、リモートワークに慣れた身体は暑さに悲鳴を上げ続けてきた。その夏も終わりようやく秋らしくなってきたと思ったら、今日は気温が三十五度まで上昇すると朝のニュースで伝えていた。地下鉄梅田駅から地上に出た香川涼介は上着の内側で汗が一筋流れ落ちるのを感じる。

    大阪は地下通路が四方に広がり地下街になっていて、外気を避けたい夏や冬はとくに賑わう。梅田界隈のサラリーマンは地下街を通勤路にしている者が多く、香川もその一人だったが今朝は三十五度を体感しようと地上通勤を決めていた。「それにしても暑いなあ」静岡から本社に単身赴任して三年、年明けには“ご奉公”も終わって戻ることになっていた。静岡の温暖な気候に慣れた身に大阪の暑さは厳しかったが、今年の夏は別格だった。

    「おはようさん」広報室で同僚の名志村仁が背中から声をかけてきた。「おー。おはようっす」「階段上がる後ろ姿が見えたから追っかけてきた」名志村がハンカチで額の汗を拭く。「いつからストーカーになったんだよ」「一人ぐらいいてもいいだろ」「いいわけないだろ」言いながら香川もハンカチで顔を拭う。冗談を言い合える同僚がいるのはいいものだと思いながら肩を並べて歩く。

    「金曜日、今日も平和な一日でありますように」ビルの前につくと名志村が手を合わせるポーズをする。香川は“今夜は静岡に帰って家族団らんといきたいものだ”と念じる。大阪データ通信株式会社。ステンレス製作のサインボードが強い日差しに反射していた。

    創業から四〇周年。大阪データ通信は銀行やクレジット会社、インターネット販売会社の顧客情報の管理、セキュリティシステムの開発を手がける。大阪本社のほか札幌、仙台、東京、名古屋、静岡、広島、福岡に拠点を構えている。

    香川が広報室に配属されてからの二年半は大きな出来事もなく、記者発表を行うための資料作成と記者発表が主な業務となっている。記者発表といっても大阪府庁や市役所に常駐しているマスメディア各社の配付棚に資料を投函することが多く、その場で質問されることもなかった。業界紙の対応がほとんどで全国紙の取材対応は月に一回あるかないかだった。

    「香川、来週の発表資料できてるか?」広報室長の広重亮二が席に座ったまま伸びをする。平和だなと思いつつ、できてますよと親指を立て資料を広重に渡す。「ここだけ手直ししてくれ」資料を読んだ広重がひとつだけ指摘する。「わかりました。直しておきます」発表はちょうど一週間後だからかなり時間に余裕がある。今日は早めに新幹線に乗れそうだ。

    「昼めし食いにいこうか」名志村が声をかけてくる。腕時計で時間を確認する。一二時を少し回ったところだった。二人で地下街のお好み焼きを食べた後に寄ったカフェで気になることがあった。「⋯⋯データが売られている。昨日情報が入ってきた」カウンターで注文したアイスカフェラテを待っているとき、香川が立っている背中越しの席から話し声が聞こえてきた。チラッと後ろを振り向くと見たことのある顔だ。システム開発部の社員が二人で話し込んでいるようだった。

    話の核心は聞き取れないが、データが売られているという言葉だけは聞き取れた。

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