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広報担当者の事件簿

苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈後編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    巨大温泉ホテル「彩亭」の改革に取り組むことになったPRプランナーの美河沙理奈。まずは地元でのリアルな評価について聞き取りを始める。その結果に宿泊部長の西野裕也らは眉をひそめる。否定的な言葉や言い訳ばかり出てくる会議の場で、沙理奈は言葉に力を込める。すると、社長の安藤康江が口を開いた。

    ©123RF.COM

    止まない雨はない

    よくいえば老舗の大型温泉ホテル、悪くいえば豪華さだけが売りのホテル。彩亭に来てからの一カ月、地元温泉街の土産店や観光協会、仙台市の観光課、テレビ局や新聞社、観光情報誌の記者から聞いた彩亭の生の評価だった。

    はじめのうちは「温泉随一のホテル」とか「料理のメニューが工夫されている」など、“気をつかったコメント”が目立った。「私は社員ではないので、生のご意見をお聞かせいただきたいんです。彩亭はこのままではコロナの渦に巻き込まれてしまいます」色々な場所に出向いて意見を訊いて回るうちに少しずつ本音が見えてきた。

    ネットの口コミでもっとも多かったのが、「スタッフに笑顔がなく対応がぶっきらぼう」。ほかにも「夕食のビュッフェ料理が冷めていておいしくない」「大浴場の脱衣所がかび臭い」「料金が高いわりにアメニティが安っぽい」「ロビーが広いだけで楽しさが何もなかった」など、辛辣なコメントが並んでいた。結論を言えば“彩亭は終わったホテル”であり、宿泊客としてリピートはない、というものだった。

    震災時に避難場所として開放したことで、テレビで盛んに取り上げられて全国的に名がとおるようになった彩亭。震災後に営業再開したときは、何もしなくても全国から宿泊客が押し寄せた。「今のうちに手を打っておかないと、そのうち見向きもされなくなると思うの」社長の安藤康江は社内会議で口にしたことがある。

    はじめのうちはその言葉もスタッフに届いていたが、月日が経つにつれて言葉が上滑りするようになった。そのうちに“面倒なことは後回し”になり、号令をかけていた安藤も打つべき手を見つけられないまま日々の業務にのみ込まれていった。そして震災から九年が経とうとしたとき、新型コロナウイルスが発生した。ロビーの喧噪も大浴場の桶の音も、レストランの賑わいも、あっという間に消えていった。

    この二年間、全国の飲食店はもちろん観光産業は未曾有の影響を受け続けてきた。新聞やテレビなどで廃業、倒産というニュースを目にするたび心が締めつけられる。「他人事じゃないわ」安藤が吐き出す。そのうち、と後回しにしてきたツケが一気に押し寄せてきていた。

    安藤が落ち込んでいたところに、宿泊部長の西野裕也が美河沙理奈からの提案の話を持ってきた。若くてホテル勤務の経験もないように見える女性が、彩亭の問題点や改善すべき点を忌憚なく言ってきたという。PRプランナーという仕事をしているらしい。聞いたことはあるが仕事の内容までは興味がなかった。ただ、美河沙理奈という人間に興味が湧き、会ってみることにしたのだった。

    「⋯⋯という結論に至りました」沙理奈は一カ月独自に取材した内容から現状の問題点、改善すべき課題、取るべき行動を率直に報告した。報告を受ける側にとってはかなり厳しい内容で、現に西野をはじめ若手メンバーの滝田久一郎、河合未有、副田崇は沙理奈が話していた後半は眉間に皺を寄せていた。「ずいぶんと辛辣なご意見ばかりですね」報告書の彩亭に対する第三者コメントのページを開き、西野が沙理奈を見る。表情は穏やかだが目は笑っていない。

    「皆さん、本音で語っていただきました」「我々なりにお客様を精一杯おもてなしする気持ちでお迎えしてきました。これが現実だったとは⋯⋯」西野の両肩から力が抜けていく。「これじゃあ、ホテルとして失格という烙印を押されたようなものじゃないですか」日々、フロントに立ち続けている滝田が声を荒げる。自分の仕事を否定されているとしか思えないだろう。イベント担当の河合と副田は黙したまま顔を上げようとしない。部屋の空気が床に沈殿しているように重い。

    沙理奈はテーブルの奥に座る安藤を見るが、その表情は変わっていない。「外部の方の率直な意見としてまとめています。ただ、逆に考えるとご意見を受け止められれば輝きを取り戻せるんじゃないかと思うんです」「思うって⋯⋯言葉だけなら誰でも言えますよ」西野が卑屈な目で見てくる。彩亭のスタッフには前向きな思考というものがないのだろうか。だんだん腹が立ってくる。

    「お客様は非日常を味わいたくて彩亭にやってくるんです。私もそうでした。それなのに⋯⋯皆さんの口から出てくる言葉は否定的なものばかりです。このホテルは今、危機的状況なんです!クライシスはすでに起きているんです。客観性のある意見には耳を傾け受け止めて、前に進むしかない。私はエンジンの部品でしかありません。彩亭を前に進めるのは皆さんです」言葉に力がこもる。

    沙理奈の“演説”に気圧されたのか西野、滝田、河合、副田の四人の視線がテーブルを向いたまま動かない。「美河さんの言うとおりだわ」それまで黙って聞いていた安藤が口を開く。

    「お客様は日常を離れて優雅な気分と雰囲気を味わいにいらっしゃる。我々ホテルはお客様の意見に耳を傾け、最高のサービスを...

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