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広報担当者の事件簿

苦境を迎えた巨大温泉ホテル 『目的地』になるための変革〈中編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    東北で最も行きたい温泉ホテルといわれる「彩亭」。友人たちと訪れたPRコーディネーターの美河沙理奈は、閑散とした様子が気になっていた。宿泊部長の西野裕也とスタッフの滝田久一郎が集客に頭を悩ませる姿を目撃し、思わず声をかける。すると、西野の希望でチェックアウト前にあらためて話をすることに。

    ©123RF.COM

    できない言い訳

    カーテンを開ける。思わず目を瞑ってしまうほど朝日が眩しかった。眼下には川が流れ、水の流れる音が聞こえてくる。都会では見ることのない風景に穏やかな気持ちにさせられる。

    「うわー、まぶしい」猪川かおりが布団に潜り込む。「ただいま午前七時です。朝風呂に入ってくるね」美河沙理奈はおどけた声をかけ露天風呂に向かう。大浴場に着くまで誰とも会わない。静かな朝だった。

    「ん?」大浴場の洗い場からシャワーの音が聞こえてくる。貸し切り同様にゆっくり入れると思っていた沙理奈は先客がいたことにちょっとがっかりした。宿泊客は三組しかいないはずだ。「朝風呂に客数は関係ないか」身体を軽く洗って露天風呂に向かうと先客の女性が浸かっていた。お互いに軽く会釈をする。御影石でつくられた湯船は二十人は入れる大きさだった。

    「気持ちいいですね」昨日ロビーで見た男女四人組の一人だった。「どちらからですか?」「東京からです」沙理奈が答える。「私たちもです。彩亭さん好きなんですよねえ。スタッフの皆さんが丁寧ですし、お料理も美味しくて」「私は初めてで⋯⋯」「もっともっと賑わってほしいわ。ロビーに入った瞬間から楽しいと思えるホテルだったんですけどね」女性が立ち上がり湯ぶねの端に腰かける。

    「やだ、私ったら勝手なことばっかり言ってしまって。お先に失礼します」丁寧に会釈をして女性が浴場内に戻っていく。「コロナだけの問題じゃないかもしれないなあ」何度か来館しているという女性には、活気がなくなった彩亭が色あせたものに映っているようだった。沙理奈は女性の言葉を反芻していた。

    「朝風呂は気持ちよかった?」部屋に戻ると川上茉祐子が化粧をしながら訊いてくる。「露天は気持ちいいわね。あなたたちも入ってきなさいよ」火照った身体が弛緩する。「それよりごはん食べに行こうよ」茉祐子が沙理奈とかおりに目配せする。三人でロビーフロアにある朝食会場のレストランに向かう。「おはようございます。ゆっくりお休みになられましたか」レストランに向かう途中、宿泊部長の西野裕也が沙理奈に声をかけてくる。「おかげさまでゆっくりできました」沙理奈が返す。「知り合い?」かおりが不思議そうな表情をつくる。

    昨夜、西野と話した内容を二人に説明しながらレストランに向かった。「じゃあ、私たちとはチェックアウトの時に集合ってことね」ビュッフェスタイルの朝食を取りながら茉祐子が言う。「うん。別行動になってごめんね」沙理奈が両手を合わせると「仕方ないなあ。温泉に来てまで仕事ですか」二人があきれたふりをする。

    「それにしてもお客さんいないね。食事も美味しいのに⋯⋯」かおりが辺りを見回しながら小声で言ってくる。「沙理奈、昨日から知ってたの?」「昨日、ロビーで仕事を片付けてたときに、何となくね」かおりの問いかけに曖昧に返す。「ごはんも食べたし、私たちは温泉にでも入ってきますか」デザートを食べ終えた茉祐子がかおりを誘う。三人がレストランを出ると、西野の隣に落ち着いた雰囲気を纏った女性が立っていた。「美河さん。当社の社長です」

    「昨夜、美河さんからの話を西野から聞きました」ロビーのソファで向き合うと、すぐ安藤康江が切り出してきた。安藤の目に映る沙理奈は“自分のホテルにダメ出しをしてきた嫌な女”と映っているかもしれない。「唐突にお話をさせていただいてしまい⋯⋯大変失礼いたしました」内心は煮えくり返っているに違いないと思い、先に謝る。

    「美河さん、お話をお聞かせいただけますか」安藤が真剣な表情を向けてくる。「今まで、ここにいる西野をはじめ従業員全員で頑張ってきました。ただ、コロナ禍になって二年間、業績は激減です。集客につながる策を打たなければと考えながら、何も思いつかず今に至る、なんです。昨夜、西野から美河さんの話を聞いたとき、根拠はないのですが⋯⋯お話を伺ってみようと。外部の方の視点も必要かと思いまして」

    ご提案したいためにこちらに泊まったわけではないのですが気になったもので、と二人を見ながら言う。「分かっております」安藤が微笑む。「美河さん。ご提案をお聞かせください」二人は会議室で提案を受けたいと言うと、沙里奈をチェックインカウンターの横にある扉から案内した。

    会議室に入るとすでに三人の男女がいた。三〇歳前後の男性二人と、二〇代女性。三人とも黒色のスーツを着ている。落ち着いているといえばそれまでだが、はっきりいって地味だった。都会のホテルならまだしも、温泉ホテルに黒のスーツは似合わないとチェックインしたときから思っていた。

    名刺を交換した一人は昨日、フロントにいた滝田久一郎という男性スタッフだった。ほかの二人はイベント担当の河合未有と副田崇。まだ若いはずなのに雰囲気が固い。このホテルの雰囲気がそうさせているのだろうか、それとも気安く提案してきた素人だと内心馬鹿にされているのだろうか。西野が全員に沙理奈を紹介する。「美河さん、それではお願いいたします」安藤に...

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