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地域活性のプロが指南

尼崎市を好きな人を増やす 一過性ではない変革を

藤川明美(尼崎市)

マイナスな都市イメージに長年苦しんできた兵庫県尼崎市。2021年、同市のシティプロモーションは、PRアワードをはじめ多くの賞を受賞。なぜイメージを向上することができたか。約10年の取り組みを振り返る。

図表1 尼崎版シティプロモーション概念図

皆さんは尼崎市がシティプロモーションで評価されたと聞いて驚かれるかもしれません。都市のイメージに長年苦しんできたまちが、約10年もの間、都市の体質転換(=ファミリー世帯の定住・転入促進を行い、人口減少に歯止めをかけて、持続可能なまちに)を目指し、政策的なメッセージも含めて一体化し、市民や事業者の皆さんと連携しながら取り組んできました。

その取り組みは都市イメージの向上に成果を上げたとして、2021年「ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」「PRアワードグランプリ」「シティプロモーションアワード」で受賞することができました。私は市で2015年からシティプロモーションを、2022年4月からは園田地域課長として地域での協働のまちづくりなどを担当しています。第1回目の今回は尼崎市のシティプロモーション実務担当者としてこれまでの概要を、残りの4回で具体的なプロセスをご紹介します。

市の体質転換が必要だった訳

尼崎市は兵庫県の南東部、大阪に隣接する人口約45万人の中核市です。電車で大阪まで5分、神戸までは16分で移動が可能。山がなく坂も少ない地形は徒歩や自転車で移動がしやすく、若者からお年寄りまで誰もが住みやすいまちです。

尼崎市の市制施行は1916(大正5)年ですが、古くは弥生時代から人が住み始めたといわれています。古代から中世にかけては海路、陸路ともに瀬戸内や西国と難波や京を結ぶ要衝として、近世には尼崎城が築城され大坂の西の備えの城下町として、高度経済成長期には阪神工業地帯の中核として発展しました。

工業都市としての発展で人口は急増し、賑わいをもたらした一方で、大気汚染などの公害問題も発生し、かつては「公害のまち」と言われたこともありました。

高度経済成長期が終わると産業構造の変化により、人口は1970(昭和45)年の約55万人をピークに45年近く減少傾向に。また、環境や治安、学校教育、都市イメージに不満を抱き、子育てファミリー世帯が転出するケースも年々増加していました。

それ以外にも、高齢化や公共施設の老朽化、駅前の放置自転車問題、さらに財政難にも直面するなど、様々な都市課題をずっと抱えていた特殊なまちだったのです。

また、市内に住んでいると便利で下町的な人情味のある...

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