広報活動には、様々なメディアが積極的に活用されています。メディア史の観点から考察すると、どのような期待のもと、メディア利用がなされているのか、その本質が見えてきます。
映画研究者の北村匡平さん(東京工業大学准教授)が先日、次のようなツイートをしていました。「レポートの体裁や文体から若い世代が年々本を読まなくなってネット記事ばかり読むようになっていることが如実にわかる。今ほど本からインプットしない世代はいないだろうが、今ほど日々文章を書いてアウトプットしている世代もいないだろう。年を重ねるごとに文章は簡潔かつ構造化されてきている印象」*1。
これを読んで、なるほど、自分も近い印象を抱いているなと思いました。人文系のレポートに求められる体裁や文体は、ネット記事よりも本に近いので、こうした傾向は由々しき事態ではあります。反面、多くの人びとが日々、SNSなどを通じて文章の執筆経験を蓄積しているという点では、悪いことばかりではないのです。
他者の評価を内面化して書く
前回の記事で、90年代半ばに登場した個人サイトが、当初は雑誌を手本とするような読み物を志向し、やがてウェブ日記というフォーマットが広く定着したことを書きました。同じ頃、個人サイトの登録制リンク集が人気を集めます。アクセス数が可視化され、利用者がお気に入りの日記に投票するようになった結果、内輪向けの身辺雑記しかなかった多くのサイトが、他者の評価を意識した文章を載せるようになりました。文章力を買われライターなどに...
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