田舎町の行政と市議会を巻き込む贈収賄事件の告発〈前編〉
海に面した、小さなまちの市役所で1年前に生まれた市民サービス課。各部署に届ける市民からの“声”は、ほとんどが苦情メールだった……。ある日、職員の佐原兼四郎は「告発」というタイトルのメールを目にする。そこには、産業廃棄物処理の受託入札にまつわる贈収賄について、詳細な内容が書かれていた。
広報担当者の事件簿
【あらすじ】
東証二部上場企業の糧食フーズで広報として働いていた津島千太郎は突然、福岡の子会社である長与食品への出向を命じられる。出向先では経理部長の田谷征四郎から目の敵にされながらも、淡々と仕事をこなして1年半が過ぎた。ある日、人事部の大城恵奈の何気ない一言から、津島は田谷に疑惑を抱くようになる。
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「いつもありがとうございます!」キッチンカーの中から弁当が差し出される。アジア料理好きにはたまらない味なので週に二、三回は通っている。公園のベンチで手にした弁当を開ける。「いつも美味しそうだなあ」おもわず笑みがこぼれる。今日はナシゴレンにパクチー山盛り。
「津島さん、ここいいですか」人事部の大城恵奈が声をかけてくる。たしか入社三年目だ。「ああ、どうぞ」「ナシゴレンですか。わたしは弁当です」大城が恥ずかしそうな笑顔をつくる。「手づくりですか。美味しそうですね」「節約です。晩御飯の残りを詰めただけですから」福岡に単身赴任となって一年半。津島千太郎はまだ一度も自炊をしたことがない。
「いつもこちらで食べているんですか?」「そうですね。一人が好きなもので」まだ温かいナシゴレンを頬張りながら軽い冗談のつもりで言ってみる。「福岡は本社とは雰囲気が違うんでしょうね」土地柄なのか会社の雰囲気なのか、真意を汲み取れず「そうですね」と曖昧に返してみた。
「津島さん大変そうだねって、みんなで話しているんです」「みんなで?」「はい、同期の子たちで。三人しかいませんけど」屈託のない笑顔を向けてくる。「大変そうに見えます?」「見えますよ、っていうかいつも経理部長に怒鳴られてますよね。しかも田谷部長、わざと怒鳴ってるし」
経理部長の田谷征四郎は津島が本社から赴任して以来一年半、敵意をむき出しにしている。津島も初めは本社から来た奴に舐められないようにしているのだろうと捉えていた。「みんなで話しているんです。何か都合の悪いことでも隠してるのかな?って」「だから威嚇していると?」津島が疑問で返すと大城が首肯する。「津島さんが広報だったことも関係しているかもねって」若い子たちは想像力がたくましい。
「広報だったことねえ」「広報って会社のこと何でも知ってるイメージがあります。それに新聞記者さんを相手にするんですよね」間違ってはいないが正解でもない。「そんなイメージがあるんですね」「広報って憧れます、なんかこう颯爽としていて」広報に対するイメージが彼女たちの中で勝手に膨らんでいるのだろう。現実を知ったらさぞ落胆するだろうなと考えると、おもわず苦笑いしてしまう。
「あ、すいません。一人で話してしまって」「いえいえ、楽しいランチでした」空になったランチボックスをみせる。「私もです。ありがとうございました」感謝されることは何もしていないが⋯⋯。「私、先に戻ります。一時から会議なんです」弁当箱を片付けた大城が小走りに去っていく。
「都合の悪いことか⋯⋯」大城の言葉がよみがえる。この一年半、津島に対する田谷の態度は異常なほどだった。会議で罵倒され、入力ミスを大声で怒鳴る。津島の部下が決算資料を作成した際に数字の記載ミスをしたときは「お前がしっかりチェックしないからだ!俺に恥をかかせるつもりか」と顔を紅潮させながら迫ってきたこともある。部下のミスは自分の責任でもあるが、作成段階のミスは失敗ではない。修正できたのだからチェック機能が働いている。「まったく出向の身分はいいよな、気楽で」と言われたことさえある。
糧食フーズ。グループ従業員数三九三七名、支店数一〇、子会社七、資本金三一〇億円、グループ売上高は二八〇〇億円、東証二部上場。津島は出向命令が下りるまで五年間、糧食フーズの広報部でメディア対応をしてきた。出向の辞令がでたとき「なぜ自分が」と絶句した。メディア対応でミスをしたわけでなく、仕事の出来が悪いわけではないと自己評価もしていた。メディアのうけもよかったと思っている。「どうして津島さんが出向なんですかね、しかも福岡だなんて」後輩も同じように思っていることに少し救われた。
出向先は福岡市内にある長与食品という子会社だった。配属されたのは経理部経理課長。畑違いもいいところである。赴任して数日間、社内の雰囲気をみていたが“歓迎されていない”空気を感じた。津島をみる周囲の眼が冷たかった。なかでも経理部長の田谷は明らかだった。赴任初日に「よろしくお願いいたします」と挨拶すると「ああ」と不愛想な態度をとられ、以来それは変わっていない。本来なら二人三脚で経理部を支える立場だが、津島が何を訊いても無視されることが多く、肝心なことは津島以外の社員に任せている。
田谷はもちろん部下も経理畑の社員がほとんどで、経理が素人の津島はむしろお荷物扱いされているように思えた。大城は何かに気づいているのではないだろうか。「都合の悪いこと」同じ言葉をつぶやいてみる。自分に知られてはまずいことがある?
長与食品は創業から八〇年。福岡では老舗の食品加工会社といっていい。冷凍・冷蔵食品を中心に製造しており売上高は一五〇億円。売上の七割は糧食フーズの商品だった。従業員数一〇八名の、よくいえばアットホーム、悪くいえば“なあなあ”の会社というのが津島の印象だった。親会社から一人の男が出向いてきたことで知られたくないことがあれば隠したくなる。「ちょっと調べてみるか⋯⋯」ベンチから立ち上がるとランチボックスをゴミ箱に捨てた。
事務所の一角だけが蛍光灯に照らされている。午後八時になると長与食品本社が入居しているビルは一斉に消灯される。それ以降はビル内に残っている者が自分の周囲だけ点くように蛍光灯のスイッチを入れる。長与食品はビルのワンフロアと地下を借りていた。今いるのは津島だけだった。キーボードをたたく音がフロアに響く。
「今日はここまでにするか」経理課長になって一年半、決算作業も次第に慣れてきた。田谷の視線は相変わらずだが、やるべきことをやっていれば周囲の空気は気にならない。余計なことは考えず、経理課長としての役割を果たすことが自分の仕事だと言い聞かせていた。今日の午前中までは。
「さてと、行くか」椅子を回転させると誰もいない事務所を見回す。残っているのが自分一人だと確認してからエレベーターで地下に下り、ドアのロックを解除する。経理部にはカードキーが二枚あった。一枚は経理部長用、もう一枚は経理部用。経理部用は津島が保管している。
書庫内に足を踏み入れるとアルミ製の棚が横に八列並んでいる。迷わず右から三列目に向かうと列の入口に“経理部”と紙が貼られている。奥に進み四段に区切られた棚の最上段から段ボールを一つ取り出した。段ボールの側面には“社外秘”と印字された紙が糊付けされている。「ここにある資料のほとんどが社外秘だろうに」と苦笑する。探している資料ではなかった。もとの場所に段ボールを戻し、隣の箱を床におろす。探偵じみたことをしている自分の姿に罪悪感が湧いてくる。
「これも違うな⋯⋯」都合の悪いことなど端からなく自分の妄想だったのではないか。広報担当として活き活きと働いていた自分が出向を命じられ自暴自棄に陥っているだけではないのか。「何やってんだろう」気分が沈んでくるのを抑えながら隣の段ボールを手にとる。蓋を開けると、資料の配列に違和感があった。何かが違う。整理されたファイル毎の厚さが少し薄い。ファイル内の資料が乱雑になっている。明らかに誰かが開けて資料を出し入れしたようだ。
蓋の裏側に資料の一覧が貼られていた。「冷凍用原料/仕入れ契約書Ⅲ」。資料を一つ取り出し一枚一枚捲ってみる。割り印の押された正式な契約書だった。資料をすべて見終え段ボールを棚に戻した。ⅢとあるからにはⅠとⅡもあるはずだ。確認しようと棚の上段に手を伸ばす。
「ん?」棚の奥に紙製の薄いファイルケースがあった。背伸びしても届かないので部屋の隅に置かれている脚立をもってくる。脚立を使わなければ奥のファイルは見えないようになっていた。“極秘”の紙が貼られたファイルケースに挟まれている封筒を開け、しばらく読みすすめる。「これは⋯⋯」見つけたかもしれないと直感がはたらく。
腕時計で時刻を確認すると午後十時半を回っていた。夜十一時になると自動的にすべてのドアがロックされ、ビルの出入りができなくなる。今夜中にすべてを確認するのは無理だと思い、一旦引き上げることにする。「また明日確認するか」獲物の全体像はまだ見えないが何かを探し当てた気分だった。急いでファイルケースをもとの位置に戻し、事務所に戻ると大きく息を吐き出す。久しぶりの高揚感があった。
「津島、ちょっといいか」経理部長の田谷がめずらしく声をかけてきた。田谷が会議室の方向を指さす。従順な態度で上司の言葉に従いついていく。テーブルを挟んで向き合う。「昨日の夜、書庫に入ったか?」一瞬、心臓が上下に揺れる。「ああ、資料を確認しに行きましたけど」警備員室には各フロアの入退室記録が残る。夜八時以降、従業員の入退室は翌日人事部に報告されることになっている。人事部長か人事課長あたりが田谷にチクったのだろう。想定内だった。
「何の資料だ?」明らかに何かを疑った視線を向けてくる。「決算作業で分からないことがあったものですから。金額の確認をしただけですが、どうかしました?」疑いの視線には訝しげな表情をしながら逆質問するに限る。「夜の十時にか」能面のような表情をした田谷が低い声で迫ってくる。「昨日中に解決しておきたかったものですから」わざと口角をあげて挑発してみた。もはや上司と部下の会話ではない。
“部外者”に知られてはまずい何かがあると仮定し、自分が動けばきっと波が立つだろうと踏んではいたが、本当に波が立ちはじめたようだ。「それで解決したか」「全部ではないですが⋯⋯また調べます。経理は奥が深くて勉強になります」田谷の視線を捉えたまま言う。「⋯⋯せいぜい勉強しとけ」津島の視線に耐えられないのか田谷が窓外に目を向ける。その目が一瞬泳ぐのを津島は見逃さなかった。
<つづく>
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*この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。
三菱電機にまた不祥事が発覚した。過労やパワハラによる社員の自殺が起き、労務問題も深刻化する最中に鉄道車両の空調設備をめぐる検査不正。6月29日の株主総会では「不祥事のデパート」と株主から指摘された。
不正は6月14日に社内で判明していたにもかかわらず、株主総会では説明すらしない不誠実さ。7月2日には新たな不正が発覚し、完全に後手に回った情報開示を批判された末に社長が辞任するという不手際続き。社内論理を優先した企業風土が一連の不祥事を招いたことを、従業員は自覚しているのだろうか。
「品質を大事にする。それが三菱電機の存在意義だとずっと謳ってきたが、どこからか崩れてきてしまった」。辞任を表明した社長がようやく開いた記者会見での言葉が自覚の欠如を物語っている。株主総会で一切説明せず、記者会見を開かず批判を浴びた挙句、「しっかり調査ができた段階で発表すべきだと考えていた」とコメントしたが、今さら何を言い訳するのか。
身勝手な社内論理と社会意識とのずれは、自浄作用の欠落を露呈している。辞任した社長をはじめ従業員全員の「三菱だから」という驕(おご)り、大企業の金看板(きんかんばん)を背負っている自覚のなさが招いた結果といっていいだろう。
不祥事の病巣があるのは三菱電機だけではない。筆者も大企業に20数年間所属した身である。驕りと自覚のなさは自戒を込めて言っている。企業に埋没してしまうと自分があたかも偉くなったような錯覚を覚えてしまう。いつしか何でも許されるという傲慢さを身につけ、相手に舌を出されていることに気づかない。検査不正は社内で起きたことだが、こうした土壌が不祥事に直結することを自覚すべきである。
本文の主人公・津島千太郎は親会社で広報と真面目に向き合ってきたが突然の出向命令で福岡赴任となり、そこはまったく経験のない経理部門。上司からイジメのような扱いを受け、周囲からも冷たい眼で見られていた。だが、真面目に業務に向き合う津島を女子社員たちは冷静に観察していた。人事部の大城恵奈の言葉は津島の疑問を解くきっかけであり、広報時代の感覚が呼び覚まされた瞬間でもある。
不都合なことは隠したくなる。経理部長が関わる不都合なことは何か。本当に起きているのか。もし、組織が現実に不正を働いているのを見つけたとき、あなたはどうするだろうか。
組織ぐるみで不正を働いていた三菱電機の従業員は長年、見て見ぬふりをしてきた。もしくは隠してきた。組織人だから仕方ないと言い訳をして逃げることは、自分の立場を守る処世術としてありかもしれない。だが、はたして人としてはどうだろうか?
寄らば大樹の陰⋯⋯組織を守るとはどういうことなのか。驕りや傲慢、そして保身。組織を守らず自身が置かれている立場を守ろうと、自ら進んで曲解する組織人が近年多くなっているように思えるのは筆者だけだろうか。
小説・解説/アズソリューションズ 代表取締役社長JTにて広報全般を担当。事件・事故時をはじめ、M&A案件の広報対応を中心に反社会的集団への対応も経験。同社広報部課長・次長・リーダーを歴任。2005年に退職後、危機管理分野を中心としたコンサルティング会社「アズソリューションズ」を設立。
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