製造工場で起きた爆発事故 向き合わざるを得ない現実〈中編〉
トーミョー食品宇都宮工場の製造棟で起きた爆発と火災。従業員2人が負傷し、意識不明のまま搬送された。総務部長の丹後圭司の指示で課長の森川遼はメディア対応に向かう。記者たちから矢継ぎ早に繰り出される質問に、森川はまともに答えることができなかった。中途半端な自分を恥じた森川は、情報収集に動き出す。
広報担当者の事件簿
【あらすじ】
フレイア繊維の新たな挑戦となる男性用下着の発表会当日。登壇予定のインフルエンサーが、ネガティブなコメントとともに商品情報をフライングで発信したことが発覚。動揺を隠せない広報の神川真央らを前に、商品企画部の雲野路信は「彼の投稿を逆手に取る」と告げる。神川は雲野の意図をつかめず困惑するが……。
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インフルエンサーが発表会前に新製品の情報解禁をフライングしたと電話をかけてきた足立海路の声はうわずり慌てていた。「発表会前のフライングだけならまだよかったのですが、下着を穿いた写真に“ダサくね” “フレイアのパンツ!穿き心地はうーん。ノーコメント”とか、ネガティブなコメントばかり載せているんです」「商品企画部には?」「伝えましたが、すでにチェックしていたようで知っていました⋯⋯」
ただでさえ朝は食欲がわかないのに、足立の電話で完全に食べる意欲を失った。しかも、驚いた拍子にトーストを落としてしまった。最悪だ。
インフルエンサーには、発表後に商品を試してもらうのが通例だった。発表当日に渡し、一四日間試した感想と写真を投稿してもらう。だが今回、足立は「事前に試してもらう」と言った。神川真央が「事前に渡してしまって大丈夫ですか?」と確認すると、足立はすでに広報部長である佐久本しおりの了解を取っていた。うるさい先輩だと思ったはずだ。
しかし、商品を渡してフライングでもされたら、発表会自体が成立しなくなる。神川の不安をよそに、初めて発表会を担当する足立は張り切っていた。「言わんこっちゃない」思わず口をついて出る。あのとき、もっと強く言えばよかった。
フライングしたインフルエンサーは、八〇万人以上のフォロワーがいる男性だった。奇抜なファッションに身を包む彼を、世間は目立ちたがり屋の変わり者ぐらいにしか受け止めていなかった。注目されるようになったのは、高齢者のサポートをしたり、環境保護団体を立ち上げて社会貢献活動をしたりしていることを週刊誌が取り上げたのがきっかけだった。
彼がSNSで発信した商品は瞬く間に大ヒットとなり、企業の業績が上向く。コロナ禍に喘ぐアパレル企業が多いなかにあって救世主のような存在になっている。女性用下着の売上が九九%を占めるフレイア繊維にとって、新商品の男性用スポーツブリーフは会社の今後を占う商品といってよかった。商品企画部が彼を含む三人のインフルエンサーに依頼したと聞いたとき、神川もチャンスだと思った。一時間前、足立から電話があるまでは。
「今日の一時五六分に写真を投稿しています。すでにかなり拡散されています」パソコン画面に足立の顔が映し出される。「かなりってどれぐらいなの」佐久本が具体的な数字を求める。商品企画部長からは電話で事情説明を求められていた。「いいねの数が九三五〇〇ほどです。そこから拡散されたことを考えればすでに二〇万人は見ているかと」新商品のインパクトが薄れていく。
「下着を穿いた姿の投稿だけならまだよかったんですが⋯⋯」「どういうこと?」「フライング自体、我々広報にとっても会社にとっても認められないことですが、コメントにはこう書かれているんです」神川が、今朝足立から聞いたコメントを読み上げる。「なにそれ!」佐久本が驚きの声をあげる。声が裏返っている。奇声に近い。
「商品企画部はカンカンよ。広報の提案にのって事前渡ししたのに裏切られたって」起きてから言っても仕方ないでしょ。語気を強める佐久本に、神川は呆れてしまう。「まずは、一時に会場に集合してください。善後策はそのときに考えましょう」今から考えないと遅いって。神川が独りごちた。
「メディアはまだ感づいていないようです」発表会会場に集まった広報部のメンバーに足立が言った。足立の後方からスーツ姿の男が近寄ってくる。商品企画部の雲野路信だった。雲野は今回の男性用下着を企画提案した担当者だった。今日の発表会も雲野が仕切っている。
「削除させます」前置きなしに足立が言う。「彼の登壇も解除しますので」フライングした張本人のインフルエンサーを外すことも付けくわえる。「うーん」雲野が思案顔で顎に手をあてる。「どうかした?」佐久本が怪訝な声で訊く。「起きてしまったことは仕方ないですよ。“彼”には予定通り登壇していただきます」と笑顔をみせる。てっきり怒鳴られると思っていた神川は拍子抜けする。
「起きたことをウダウダ言っても仕方ないでしょ。彼の投稿を逆手に取ってやります」「いいねが既に一二万ですよ。うちにとっては困る存在ですが⋯⋯」「そこを逆手に取るんです」神川たちには雲野の考えがわからない。「(商品企画)部長には了解してもらっていますから。広報の皆さんも協力してください」雲野が“逆手”計画を説明し始めた。
「よろしくお願いします。神川さん、社員インフルエンサーとして重要な役回りですから、よろしく頼みます」説明し終えた雲野が神川に両手を合わせる。普通なら罵詈雑言をまくしたててもおかしくない場面なのに。もちろん、内心穏やかではないはずだが...