北米で19世紀後半以降に活躍し、現代広報PRの歴史的発展に貢献した偉人の功績を紐解きます。
歴史上初の国家的規模
「プロパガンダ」の仕掛け人
ジョージ・クリール
◆ ウィルソン大統領のもと広報委員会(CPI)を組織
◆ CPIには広報・広告・アートの第一人者が集結
◆ 国家的なプロパガンダを主導するも、当人は否定
ジョージ・クリールは、カンザスシティやニューヨークで新聞記者として働いた後、新聞社の経営を手がけました。また、マックレーカー(官僚らの不正を暴く記者)としても活躍し、ロックフェラー家の企業経営や彼らの広報エージェントであるアイビー・リーの手法を批判しています。彼は、1916年の大統領選挙でウッドロー・ウィルソン候補を支持し、勝利したウィルソン大統領の信頼を得ます。
アメリカが第一次世界大戦に参戦したのは、連合国側に加盟しドイツに宣戦布告をした1917年4月6日です。その1週間後、ウィルソン大統領は広報委員会(CPI:Committee on Public Information)を設立し、クリールを共同委員長に任命しました。
CPIは、参戦に向けてプロパガンダを用いて世論を誘導するために国家的規模で活動した、過去に例のない組織です。官民双方からスタッフが招集されました。広報担当にはカール・バイヤー、エドワード・バーネイズ、広告にはジョージ・バッテン、ウィリアム・ジョーンズ、クリエイティブ部門にはチャールズ・ギブソンと当時の広報・広告・アート分野の第一人者が参加しました …
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