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広報担当者の事件簿

戦略のない広報と 戦術を知らない広報

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    突きつけられる退場通告 「組織的隠ぺい」という毒〈中編〉

    【あらすじ】
    陽光自動車の社員から暁新聞やテレビ関東に届いた内部告発資料。そこには、広報部のマネージャーを務める若田朱美にも知らされていない事故が書かれていた。しかし、広報部長の星野勝彦は認めようとしない。その態度は、二十年前に起きた組織ぐるみの隠ぺい事件を彷彿とさせるものだった。

    変わらなかった企業体質

    芝公園駅の改札ゲートにICカードをかざし地上に出た。「またここを走るんだなあ」一カ月後の有名な大学駅伝を思い浮かべる。若田朱美は駅伝どころか走ること自体に意味を感じたことがなかった。ただ、タスキを繋いでいく学生たちの姿をテレビで見ていると、絆や組織力、仲間という言葉が脳裏に浮かぶ。朱美が勤める陽光自動車に欠けていると感じていることだった。いつも年の初めに「今年こそは」と思うのだが一向に実現する気配がない。入社当時の志は、十年も経つといつしか"欲"に変わってしまう。

    広報部のマネージャーになって一年。経営陣や他部署と、ことあるごとにぶつかってきた。「広報は余計なこと言うなよ。決められたことをやっておけばいいんだから」企業としての判断が下されたことは、社員なら守るべきだと思う。だから余計なことを言ったことはない。でも、世間の方々は"それでは納得しませんよ"と言う。

    今の陽光自動車は、世の中の感覚とズレが生じているのに、そのことに誰も気がつかず、気がついていたとしても"見て見ぬふり"を決め込んでいるのだ。余計な業務をしようとせず、意見をする社員は排除しようとする。悲しいことだが、企業体質が歪んでいる。

    「昔と同じか……」思わず呟く。朱美が入社する十年ほど前に起きた隠ぺい事件の時と何も変わっていない。当時の資料をくまなく読んだ朱美には、そのことがつらかった。

    「忙しいのに、わざわざごめんなさい」テレビ関東の河瀬麻里子が笑顔で手を振ってくる。記者クラブのあるビルの一階。建物の角を活用したカフェの大きな窓からは、道路を行き交う車の波が目に飛び込んでくる。愛くるしい顔の河瀬だが、経済事件を担当する社会部の記者である。いつでも取材に飛び出せるよう考えてか、今日も動きやすいパンツ姿だった。

    「さっそくなんですが、これ……」河瀬がテーブルに封筒を置く。目で合図し、確認するよう朱美を促す。引き寄せて中をのぞくと"事故原因報告"のタイトルと、右上の「社外秘」という文字が目に入る。暁新聞の酒川森彦が持っていたものと同じだった。「いかがですか」何か言わなければいけないのだろうが、何も答えられない。

    これが事実だとしたら、二十年前と同じことが繰り返されてしまう。設計ミスが原因の死亡事故を運転手の過失だとして責任を逃れようとした隠ぺい事件。陽光自動車にとって未来永劫消えない負の遺産だった。河瀬が真剣な眼差しを朱美に向けてくる。受け止めようとするが、河瀬が背にした窓の外に目を向けてしまう。

    「……実は、他社からも同じ資料を見せられました」「体質が何も変わっていなかったということなんですかね」「まだこれが事実と確認したわけではないので……」河瀬の視線が差し込んでくる。「若田さん。社内で確認していただいてもよろしいですか。資料が届いた以上、動かないわけにはいきませんので」朱美が手にしている資料に視線をやる。

    「まぁ、御社の役員に直当たりしても認めないでしょうから、事実を調べるのはこちらの仕事になりそうですが。この資料を送ってきた方は相当な覚悟を持っているのでしょうね。企業の不正は消費者を裏切ることになる。もっと踏み込んで言えば、世の中を敵に回すことになります。御社は二十年前に一度そのことを勉強しているはずです」

    河瀬の真剣な眼差しが熱を帯びてくる。朱美は何も言えない。何も知らないのだから答えようがない。「企業の不正というものは、一部の役員と社員がかかわっているケースがほとんどです。私は、この資料の内容は事実だろうと思っています。企業の存在意義は社会貢献でもありますよね」河瀬の言葉が胸に刺さる。

    「恥ずかしながら、この資料の存在も、書かれている内容も知りませんでした」ぬるくなったコーヒーに口をつけながら、朱美の言葉に河瀬がうなずく。「少しお時間をいただけませんか。確認してみます」「いつ返事をいただけますか?」いつまでとは約束はできない、と言いたいところだが、事実が分かるまで解放してくれないだろう。「一週間……」「三日待ちます」すぐに河瀬が切り返す。「三日待って、返事をいただけないようなら独自取材を進めます」「……社内の関係者に伝えます」

    「若田さん。あなたが今まで、我々メディアに誠実に対応してきたことは記者クラブのみんなが分かっています。社内での立場もあるでしょうけど、このまま野放しにしたら、腐ってしまいますよ。誰かが本気で変えようとしなければ体質は変わらない」言外に"広報の本気を見せてください"と言われているようだった …

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