全国の観光イベント競争で岐路に立たされていた三重県伊勢志摩地域。観光再生のために思いついたのは、「バリアフリー観光」という新たなマーケットを開拓することでした。


2001年から活動を開始し、2002年4月に相談拠点「伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」が鳥羽一番街にオープン。NPOながら活動開始から17年の間、常勤の事務局スタッフが常時3~4人いる。
バリアフリー観光システムを開発したことで、伊勢志摩および三重県を日本一のバリアフリー観光地としたNPO「伊勢志摩バリアフリーツアーセンター」。まずお断りしておきたいのですが、理事長でありこの仕組みを構築した私は、福祉関係者でも行政関係者でもありません。本業は水族館プロデューサーで、その集客戦略の延長線上で観光地事業のノーマライゼーション化を開発したところ、大きな成果を得ることができたのです。
したがって本稿はけっして福祉のまちづくりの話ではありません。バリアフリー観光による観光再生と集客増の達成についてお話ししていきたいと思います。
一過性の観光イベントに疑問
バリアフリー観光を日本で初めてシステム化しようと考えたのはおよそ20年前。当時の三重県知事、北川正恭氏から「伊勢志摩観光再生のために将来まで効果が残る仕組みを創り出せ」と命を受けたのが始まりでした。伊勢志摩とは、三重県南東部に位置する、令制国の伊勢国と志摩国にまたがる地域です。2016年5月にはG7サミットが開催されました。
北川氏は当時、伊勢志摩で毎年のように行われていた観光イベントにかかる巨額の事業費と一過性の効果に疑問を持っていました。ただ、パイの奪い合いとも称される観光事業には、話題になった観光地が勝ちという明快な法則があります。その時代は、全国で観光イベントが競い合うように開催され、伊勢神宮という強力な魅力を擁する伊勢志摩でさえも、その波に飲み込まれていたのです …