にぎやかなイベント会場が一転「まさか」の見落としが招いた悲劇〈後編〉
【あらすじ】
55回目を迎えた「ヨコハマハーバーフェスティバル」のオープニングイベント会場で爆発事件が発生。詳細を知ろうと多くの記者が横浜ハーバービューホテルに詰めかけた。「分かり次第改めてご説明します」と繰り返す総務部長・酒井亨の姿に危機感を抱いた広報担当・佐伯瑛太は、毎時ごとの状況説明を宣言する。
「逃げるわけにはいかない」
──午後四時四十五分
「亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます」総務部長の酒井亨がコメントを読みあげる声は震えている。ひとつ間違えば記者につるし上げられそうな場面で、"緊張するな"というほうが無理だ。隣に並んだ広報の佐伯瑛太も全身が力んでいた。
「脅迫状は届いていたんですか」「死者九名、負傷者二百十七名。主催者として責任をどのように感じているのか」四方から矢が飛んでくる。捜査の都合上、回答したくともできない質問もあれば、情報自体の確認が取れていないものもある。
だが、記者たちにとってホテル側の都合など関係ない。容赦のない口撃が続く。「なぜ、もっと早くコメントを出さないんだ」「どんな警備体制を組んでいたのか」酒井が必死に対応しようとするが、声は少しずつ小さくなっていく。
これはテロだ。近年、役員や社員の資質低下から頻発している企業不祥事とは質がまったく違う。記者たちも混乱の中で記事にまとめようと必死になり、ホテル側の不備を突き続ける。被害者の叫びが胸に突き刺さってくるようだ。隣では酒井が「分かり次第、改めてご説明いたします」と何度もおなじ言葉を繰り返し、頭を下げ続ける。
「改めてって何時ですか」。記者たちは、被害状況をつぶさに説明してほしいと詰め寄ってくる。横目に隣を見るが酒井は俯いたまま言葉が出てこない。「六時に……次回は六時にご説明いたします。今後、毎時ちょうどに状況説明するということでいかがでしょうか。こちらで分かったことは必ずご説明いたします!」瑛太が記者たちを見回す。無意識に両拳を握りしめていた。
ようやく解放されて事務所に引き上げると、酒井がイスに座りこむ。背中に疲労の色が滲んでいるのが分かる。時計の針は午後五時二十分を指していた。次は失敗できない。不測の事態とはいえ主催者のホテル側に非があるのは明白だった。
「……次は私に対応させてください」酒井が目を合わせてくる。二十歳ほども歳の違う若造が上司に烙印を押すようなことはしたくはなかったが、立場など考えている場面ではない。目に力がこもる。「……お前に任せる」疲れ切った声の酒井が呟く。「分かりました」瑛太が力強く言うと酒井の顔に朱が射し、安堵の表情に変わっていった。
──午後五時三十三分
会見後、みなと新報の寺脇はホテルの外へ走り出た。「ホテル側からコメント出ました!次は六時からです。爆発の状況はそこで出てくると思います。早版、まだ間に合いますよね?……こっちだって必死にやってますよ!」地元で起きた爆発事件ということもあり、さすがにデスクも焦っている。通話を切ると携帯の画面が汗で濡れていた。
「……何が目的なんだ……楽しいのかこんなことをして……」犯人に対する憎悪をおぼえる。怒りで身体に溜まった水分が全部汗になって噴き出してくるようだ。
「寺脇さん!」「おぉ、どうした?」後輩の神崎直人だった。神崎の額にも汗が浮かんでいる。「総支配人も亡くなったようです。県警に確認とりました」「ここの?」腕組みをした寺脇が目立たないように右の人差し指を立ててホテルの玄関を指すと、神崎がうなずく。寺脇は目を瞑った。
──午後五時五十七分
「最後に、負傷者の状況、会場の被災情報、ホテルの営業再開時期だ。頼むぞ」午後五時三十分現在の状況を整理した紙が瑛太に預けられた。「分かりました」ゆっくりとドアノブを回しながらロビーへの扉を開けると記者たちが一斉に向かってくる。押し寄せる波のようだ。
"俺は横浜ハーバービューホテルの広報だ。逃げ出すわけにはいかない"波の中にみなと新報の寺脇の顔を見つける。県警から駆けつけたのだろう。一瞬目が合うとお互いわずかに顎を引く。寺脇とは、付き合いのある経済部記者の紹介で知り合った。社会部の記者と企業の広報担当者に接点ができることは通常ないし、できれば社会部とは付き合いたくないのだが …