記者と広報は、なぜすれ違う?第一線で活躍するメディアの記者に本音で語ってもらいました。
新聞記者 Kさん(女性)新卒で新聞社(全国紙)に入社し中規模都市の報道部に配属。数年間、事件や事故の取材を経験したあと経済を担当している。イベントなどの軟派の取材から不祥事会見まで担当しているため、普段から企業の広報担当者とのコミュニケーションは欠かせない。 |
とある民間企業の記者会見でこんな光景を見かけたことがある。
記者 「これはつまり『A』ということですよね」
経営者 「これには~という背景があることを理解してください」
記者 「いやこれは『A』と表現して良いのかということを聞いています」
経営者 「これは~で、こういう理由があって」……
こういう問答を聞いていると、その会社の人間でもないのに私がヒヤヒヤしてしまう。と同時に「なんでそういう答えになってしまうの」とため息をつきたくなる。このようなやりとりは経営者が登場する会見に限らず、広報に対する電話問い合わせの場面でも起きがちだ。
「無難に乗り切った」は大きな勘違い
失言、あるいは会社へのマイナスイメージを気にするあまりか、記者の質問にまったく答えられていない、というのは珍しい話ではない。結論に至るまで、直接的に関係のない説明を並べ、最後に小さく核心に触れることもある。のらりくらりと説明するため、主語と述語がバラバラで、結局こちらが「つまりこういうこと」とざっとまとめて解釈する。話をまとめる力、本質を見抜くのは記者の力のふるいどころでもあるが、会社の「顔」であるはずの広報の役割としてそれで良いのかと思うときがある。
特にトラブル関連の問い合わせではない場合でも、「え、そんなことも言えないの」と思わされる場面に度々出くわす。某企業の広報担当者に地域貢献につながる企画について聞いた際も、「ある地域からの提案がきっかけ」と言うので「どこの自治体か」と聞くと、どのエリアかさえも答えられない始末。相手方の事情もあるのは分かるが、なぜその程度の情報すら出せないのかもよく分からず、「おいおい、PRする気はないの」と突っ込みたくなった。
この手の対応は特に「不祥事」と呼ばれる事態を招いたことのある会社に多い。いわば「批判アレルギー」を起こしていて、「詳細については現段階では言えません」をひたすら繰り返したり、聞いてもいない話を長々としたりして結局何が言いたいのかよく分からないといった事態が起きる。こういう対応でもし「無難に乗り切った」と思っていたらそれは大間違いだ。
批判アレルギーであまりに情報を出さない、記者の質問をはぐらかすような回答をする広報担当がいる会社は長期的に見れば、かえって痛い目に遭うことになるのではないかと思う。記者も人間だ。対応の悪い企業に良い印象は抱かない。顧客、利用者に対しては良い顔をしていても、結局腹の内は違うのだろうなと思ってしまう。そうなると、筆の厳しさは増すだろう …