人気イベントの影で起こる幹部の裏金問題〈後編〉
【あらすじ】
人気グループ・エルシードのコンサートツアーが近づき、協賛企業であるハイトーンカンパニーの広報責任者・進堂武人はメディア対応に追われる中、付き合いのあるジャーナリスト・向井から喫茶店に呼び出される。一方、記者の段田堯は企業幹部の裏金問題をついに突き止める。

私欲が招いた悲劇
暑さもようやく鎮まり顔をなでる空気も心地いい。街を歩く人の服装もすっかり秋めいている。とはいえ、ここのところ異常気象の影響で夏が長くなってきていることを実感する。「まだ暑いな」と進堂武人が思わず呟く。上着に袖を通し歩いているとワイシャツの下に汗をかいている。さっきまで"ネタ元"の男と会っていた喫茶店で、テーブルにカメラを置いて座っていた男。あれは段田だったのだろうか⋯⋯。暑さだけではない汗がまたじわっと噴き出てくる。
「今出て行ったのは確かハイトーン(カンパニー)の広報室長ですよね?」週刊毎朝記者の段田堯は、座っている男の向かいの席に腰を落ち着けた。左手にはカメラを持っている。「お久しぶりです、向井さん。七年ぶりですね」「お前か。ハイトーンを追いかけても何も出ないぞ」。仲間だった者にはあいさつめいた言葉は必要ない。発行部数トップをいく大新聞社を向井が辞めてから七年が経とうとしている。
段田とは警視庁記者クラブで競い合うように取材していたが、向井が辞める前年、ライバル社を辞めてフリーの記者になったと周辺から聞こえてきていた。ハイトーンの進堂から話を聞いたときは、これも縁なのかと思わず苦笑いした。「まさか、向井さんが関わっているとは思いませんでしたよ」段田が口角を上げる。向井が、俺もだよという言葉を飲み込む。「⋯⋯相変わらず食らいついたら離さないようだな」「性格はなかなか変わりません」段田が照れたような笑いを浮かべる。
株式投資運用会社バリューモアの創業者である岩木陽一郎と、バリューモアの子会社でイベント企画会社のプレジータ社長の榊新一。親分子分である二人に投資事案でかなり強引な手口を使い、企業から資金を引き出しているという噂があった。段田が取材を進めていくうちにハイトーンカンパニーに突き当たったということだった。
「それで、エルシードのツアー発表会に顔を出したということか」「専務の神谷さんの名前が風の噂で聞こえてきたものですから」ハイトーン広報の進堂からバリューモアやプレジータの素性を知りたいと連絡があったときには、向井は既に"裏社会とつながっている怪しい企業"というレッテルを貼っていた。特に、バリューモア副社長の鈴木要一という男が怪しく、岩木や榊を操っていることまで突き止めていた。
「⋯二課も内偵を始めたそうです」警視庁捜査二課は、詐欺や横領をはじめとした経済事犯などを担当している。「黙ってはいないだろうな」向井が相づちを返す。向井と段田にはこれ以上の会話は必要なかった。段田は向井の言質を取ったことで書こうとしている記事の確証を得た。あとは証拠を手に入れるだけだ。
一方、向井は段田がどこまで深く取材しているのかが分かった。記事にするのも間近だろう。「久しぶりに会えて楽しかったです」さっきまでぎらぎらしていた段田の目が優しくなっている。「君のような記者を辞めさせた会社は後悔しているだろうな」向井が微笑む。「その言葉、そのままお返しします」背を向けた段田が遠ざかっていった。
エルシードの五大ドームツアー開催が一カ月後に迫っていた。チケットはすべての会場で売り切れとなっており、インターネットではチケットが五倍の値段で販売されていた。ファンにとっては、チケットの値段以上に"見たい"という想いが勝っているのだろう。ハイトーン社内はドームツアーに向けていよいよ熱気に包まれてきていた。
「⋯⋯ということで、メディア対応は進堂を中心によろしく頼むぞ」コンサートの運営はすべてエルシードの所属事務所が行なっているのだが、特別協賛となっているハイトーンは、彼らがデビューしてから継続的に支援をしてきており、今回も特別スポンサーとなっていた。進堂はハイトーン側のメディア対応の責任者として今回のツアー事務局に名を連ねている。
ツアー進捗報告会での社長の古村人志からの言葉に、分かりましたとは言ったものの、向井との会話が脳裏から消えない。
報告会が終わり役員会議室から廊下に出ると「進堂、ちょっといいか」背中越しに財務を担当している取締役の平田慎三が声をかけてくる。「専務の部屋に来てくれ」振り向いた進堂と目が合う。平田の視線が泳ぐ。進堂が黙っていると、部屋で話すからと言ったきり廊下の先にある専務の神谷忍が待つ部屋に足早に向かった。平田の後に続いた進堂には、この廊下の静けさがやけに気になった。
「入ってくれ」。中から神谷の声が聞こえる。役員会議室でずっと腕組みをして目を閉じていた神谷だったが、進堂と平田が部屋に入ると、同じ姿勢のまま神谷がソファに座っていた。まるで役員会議室からそのまま移動してきたのではないかと思うほどである。二人に気づかれないよう息を吐いた進堂が神谷の目を見る。「どうした?座ってくれ」「どうかしましたか」。声の抑揚を消す。「まあ座れ⋯⋯」神谷がまた言うと、さあ進堂君、と平田が腰巾着ぶりを発揮する ...