人気イベントの影で起こる幹部の裏金問題〈前編〉
【あらすじ】
人気グループ・エルシードのツアーに協賛している大手コンビニエンスストアのハイトーンカンパニーで広報を担当する進堂武人。ツアー開始を2カ月後に控え、忙殺される毎日を送っていた。チケットは即完売し順調かと思われていたが⋯⋯。

スクープ
平田慎三がドアの扉をノックすると「入れ」と声がする。部屋に足を踏み入れた途端、足首まで絨毯の毛に埋まってしまうのではないかと感じる。この瞬間、いつも立場の違いを意識させられてしまう。「とりあえず振り込んでおくしかないだろう」部屋の主の前まで進むと、前置きなしで両手を前に突き出し指を開く。「十ですか」「これだけ苦情がきているんだから仕方ない」専務の神谷忍が渋面をつくる。
「岩木に現状報告するように伝えてくれ。すでに二十以上預けているんだ。減りましたじゃ済まない」「専務、これで三十三億になってしまいます。これ以上は厳しいと思いますが⋯⋯」弱々しい声で進言してみる。「そんなことは分かっとる!」。取締役まで引き上げてくれた神谷には頭が上がらない。全身がビクッとする。神谷の腰巾着と揶揄されていることは分かっていたが、今さら反旗を翻す勇気もない。
―エルシード 五大ドームツアー開催決定―
夏真っ盛りの八月、全国五カ所のドームで計三十万人の観客動員が予定された、人気グループ・エルシードのツアーを十一月から大晦日のカウントダウンまで開催することがテレビをはじめとした芸能マスコミに発表されていた。当日は百人を超える報道陣が押し寄せ、人気の高さを表していた。発表会が終わり、出席した報道陣との取材対応ではこのツアーに協賛する全国チェーンのコンビニエンスストア・ハイトーンカンパニーの担当役員である神谷と平田も笑顔を振りまいている。
「今回のツアーチケットはハイチケ(ハイトーンチケット株式会社の略:ハイトーンの子会社)さんの独占販売ですが、今回のツアー企画、チケットデザイン、発券から入金管理まですべてプレジータさんになっていますね?」「そうですね。彼らとは実は以前から様々な公演で取り引きがありまして。とにかく一生懸命なんですよ。真摯というか、真面目というか⋯⋯そういう姿に信頼を寄せております」神谷がにこやかに応対する。
「神谷さんがそこまでおっしゃるんですから、よほど信頼されているんでしょうね」「良い年を越したいですからね」あくまでも柔らかい対応の神谷の横で平田も笑顔をつくる。
「申し遅れました」。カメラを肩にかけた男が、こういう者ですと言いながら、“週刊毎朝記者 段田堯”と書かれた名刺を差し出す。週刊誌も来ているのかと思いながらも、会場に詰めかけた他の記者たちへの応対に気を追われ、段田の名刺はいつの間にか神谷の胸ポケットに収められていた。名刺交換はしなかったものの、神谷と挨拶を交わしたときの段田の視線が気になった平田は、会場にいるはずの段田を視線で探していた。だが、段田の姿はどこにもなかった。
発売当日、チケットは瞬く間にSOLD OUTとなった。三十万人分の席が埋まったことになる。インターネットでは早くもチケットの売買が行われており、一枚九千円のチケットが三倍以上の値を付けていた。ツアーを企画したプレジータ、協賛しているハイトーンカンパニーともに笑いが止まらない。両社の関係する社員、中でも広報と宣伝を担当する部署は残り二カ月を切ったツアー開始まで、忙殺される毎日を送っていた。
「専務に呼ばれてきたんだけど⋯⋯」広報室の進堂武人が秘書室の金子理佐に声をかける。「え、そうですか⋯⋯。直接(電話を)おかけになったんでしょうか」「じゃないのかなあ」「今、平田(取締役)さんが入っていらっしゃいますので、ちょっとお待ちいただけますか?」と言いながら理佐が席を立ち専務室に向かう。いつも誰かいるなあと思いながらも仕方なく秘書室内で待つことにする。
理佐はすぐに戻ってきた。「どうぞ、とおっしゃっています」「はいよ」とさばけた調子で応じながら神谷の部屋に向かう。「進堂さん」理佐が横に並び話しかけてきた。「専務と平田さん、何かあったんでしょうか」「どうして?」「平田さんが青白い顔で出てきて、専務は席で腕組みをしながら赤い顔をしていたもので⋯⋯」「親分子分の関係は難しいねえ」と軽く受け流そうとすると「ドアをノックする直前、『そんなことは分かっとる!』と怒鳴り声が廊下まで聞こえてきたんです」と理佐は言った。
神谷と平田の上下関係は社内の誰もが知っている。親分が子分を叱りつけることはよくあることだろうが、日頃から温厚に振る舞う神谷が廊下まで届くほどの怒声をあげた。今は、エルシードのツアー成功に向けて社内が熱を帯びている。いわば、全社を挙げて最高潮に盛り上がっている時期だった。
事業戦略担当の専務と財務を担当している取締役。平田が金目のことで気に障る何かを言ってしまい、きっと神谷が怒ったのだろうと推測はできる。「専務の部屋から?」「ほかにどこがあります?三十三億とか⋯⋯」数字の単位は聞き取れなかったが、岩木という名前も漏れてきたと教えてくれた ...