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広報担当者の事件簿

もしも社員が事件を起こしたら、世間の興奮をどう収める?初動対応のポイント

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    福山駅・トルエン撒き散らし事件(前編)

    【あらすじ】
    東京・広島の二本社制の山陽塗料。創業の地でもある広島本社の広報チームリーダー・川端健志は、大手メディアがひしめく東京に広報の主導権を握られている中、広島本社ならではの発信を目指すものの、苦戦を強いられていた。そんなある日、川端の携帯に、山陽塗料の社員が福山駅改札で劇物指定されている毒薬・トルエンを撒き散らしたという一報が入る。

    地元のプライド

    東京本社と違い、ここでは何をすればいいのか。東京と同じような内容を発信しても目新しさはないし、「どうせ東京でも発表しているんでしょ」とにべもない。

    広報部に異動して間もない藤野和人にとっては、それでも新鮮だった。ただ、記者の反応は冷ややかなもので「こんなことして意味あるの?」とまで言われながら社に戻ってきていた。

    「お疲れさん」。リーダーの川端健志が声をかけてきた。記者クラブに行ったのは9月が終わるこの日で5回目だった。「どなたにも相手にされませでした」と藤野が力なく言うと、「そうか」と言った後、お疲れさんと川端がもう一度労ってきた。記者発表と言えば聞こえはいいが、会社からの郵便物をマスコミ各社に届けるだけの『伝書鳩』だ。しかも、その郵便物は届けた目の前でゴミ箱に捨てられたこともある。どうして本社と同じことをしているんでしょうか、疑問に思っていたことを川端に聞いてみたかった。

    登記上の本社が広島市にある山陽塗料株式会社は、2005年に東京証券取引所第二部へ上場して以降、広島・東京の二本社制としているが、社長をはじめ11人いる役員の半数以上、企画や営業などの中枢部門のほとんどが東京に引っ越し、広島を本社だとは誰も思っていない。広島市の経済団体やマスコミ各社には東京に魂を売った企業と陰口を叩かれていた。広報機能も東京に集約すべきと経営会議で何度か検討されていたが、社長の山陽勇之助は首を縦に振らなかった。山陽塗料も他社の例にもれず、IR部門を中心とした広報機能は3年前に東京に移している。誰が見ても一極集中の対応になってきていると思われたが、「事業活動を考えると、東京中心になるのは仕方のないこと。だが、山陽塗料はあくまで広島の企業。広報機能まで東京に集中してしまったら、それこそ東京に魂を売ったことになる。東京で頑張っている姿を広島で伝え続けなければいけない」ことが理由だった。

    山陽塗料の信念を、藤野に向けて川端が代弁した。川端も藤野の気持ちは痛いほど分かっている。自分も同じことを地元記者から言われ続けてきたのだ。

    「山陽塗料の創業の地は広島なんだ。数字に関わることは東京に持っていかれちまったが、ここですべき広報はある」。すべてを東京に委ねたら『山陽が山陽でなくなる』。とは言ったものの、川端にも妙案があるわけではなかった。広報機能は両本社にあるものの、実質的な主導権は東京広報部にある。川端はリーダーという役職に就いてはいるが部下は藤野を含め2人、東京広報部には川端と同じリーダーの種田正也はじめ7人の部員がいる。誰が見ても完全に東京に軍配が上がっているが、川端は山陽の信念を守り抜きたかった。だが、『山陽らしい広報とは何か』。広報として地元記者とどう向き合うか、何を発信していくべきか、答えが見つからない-。

    時間ばかりが過ぎていったある日の朝。川端が尻のポケットにしのばせている携帯電話が震え、着信を告げた。「川端さん!野口です。大変です!!」山陽塗料は、創業当初から福山市内にある自社の工場で工業用塗料を生産している。一時は生産コストが安価な中国やタイの企業に押され、取引の減少から工場の稼働縮小を迫られた時期があった。ただ海外生産品の粗悪さから、『Made in Japan』への信用回帰が進み、山陽ブランドに対する信頼が回復してきている。工場の稼働を縮小した時期は従業員の士気低下が著しく、工場を後にする従業員もいた。一時は200人が汗を流していた職場は140人まで減少。そんな中 …

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