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ある広報人の告白

広報の仕事は「五里霧中」 とりあえず動き、迷ったら「原典に還れ」

資生堂 上岡典彦

営業から資生堂でのキャリアをスタート。14年間の広報部勤務、企業文化誌『花椿』の編集長を経て、2015年4月から広報部長として広報を統括する上岡典彦氏に、広報の醍醐味と面白さを伺いました。

資生堂 コーポレート コミュニケーション本部 広報部長 上岡典彦(うえおか・のりひこ)
1964年香川県生まれ。1987年4月、資生堂入社。高知支店、横浜支店、広報室(当時)を経て、2009年第14代『花椿』編集長に就任。同誌のリニューアルに取り組み、資生堂創業140年、『花椿』創刊75年の2012年3月に新装刊させる。その後広報部に復帰し、2013年からコーポレートコミュニケーショングループリーダー、2015年4月から広報部長(現職)。2016年6月から日本パブリックリレーションズ協会副理事長・資格委員会委員長を務める。

「故郷に錦」を飾らせる

──広報部に配属されるまではどんな仕事をしていましたか。

新卒入社後、高知で3年間、横浜で4年間営業に携わりました。当初から広報を志望していたのですが、総合職の社員はまず営業を経験するのが通例でした。当時は心が折れそうになったこともありましたが(笑)、経験したすべてのことを活かせるのが広報の仕事だと後になって気づきました。今でも営業時代の担当店舗を訪問し、現在の資生堂をどのようにご覧になっているかなどを聞くようにしています。

──広報を経て『花椿』の編集長に就任されますが、その時のことを教えてください。

正直苦労しました。1937年創刊の伝統ある企業文化誌ですが、当時は社内からの関心も低下し廃刊も含めて検討するというミッションでした。私には編集の経験もなく、歴代の編集長はほぼクリエイティブ出身者だったので異例の人事です。様々な意味で、一新することが期待されました。

その時、支柱となったのは、名誉会長の福原(義春氏)から常々教えられていた「原典に還れ」という言葉。自らの目で原典をしっかり確認して、そこから歴史と経緯を踏まえた戦略を立てるという意味です。そこで『花椿』と前身の『資生堂グラフ』『資生堂月報』のバックナンバーをすべて読み返し、当時の社会と資生堂において各誌が果たしてきた役割をまとめました。その結果、『花椿』はこれからも果たすべき役割があると考え、創刊の精神に立ち返ったリニューアルを行いました。資生堂の本業との相乗効果の強化です。

日本地域本社である資生堂ジャパンの社長、役員とブロック紙・県紙との懇談会。今回初の試みとして開催した。

──広報部ではどんなことを心がけてきましたか。また、仕事の面白さとは。

化粧品会社ならではの美容に関する情報開発・発信に注力しています。また地域メディアとの関係性を強化しています。一例を挙げると...

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より正しく理解してもらうため、何ごとも「性善説」で考える
社会常識や空気を踏まえ、意見を言えるのは広報しかいない
僕の広報の原点は、リーガルマインドとインテグリティ

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