下請け企業から届いた告発 暁新聞社会部の本気〈完結編〉
副社長を含む3人の役員による粉飾決算が明らかとなった浅津電気。ついに地検による強制捜査が入った。広報部の川北琢磨は逮捕された3人が連行される姿をテレビ画面で見ながら無力感に襲われる。そして200人以上のメディアが集まった記者会見で、社長の小石川雄作は想定問答とは違う回答を口にしはじめた……。
広報担当者の事件簿
【あらすじ】
「御社の中期経営計画、うちに書かせてくださいよ」─。老舗食品会社「アオイ食品」広報課長の野口康太は、東京経済新聞の記者・福田亮二からの、リークを促す電話に辟易としていた。一方、福田は副社長の染谷裕士にも夜回りを仕掛けていた。実は染谷は、過去にも東京経済新聞にネタを漏らした“前科”があった─。
『拝啓 時下ご清栄のことと存じ上げます。さて、この度弊社が行いました「プラン2019 中期経営計画」について、記者発表以降、御社記者による社会常識をあまりにも逸脱した取材行為に対し、弊社として甚だ迷惑しており、不信感さえ抱いています。ついては、御社記者の取材行為に対して、弊社として下記内容のとおり抗議します』
フーっという息とともに、野口康太が席を離れる。アオイ食品に入社してもうすぐ15年。課長として広報部に異動してから4年が過ぎようとしている。その間、事件や事故の類はほとんどなかった。唯一あったのは副社長が勇み足をした、ちょっとした〝ウグイス事件〞だろうか。それも3年前だ。だが、今回は〝ちょっとした〞ことではない。上場企業として試されていると野口は肌で感じていた
始まりは1週間前だった。
「東京経済新聞記者の福田ですが、御社の中期経営計画そろそろまとまりました?」「決まった時点できちんとご説明をさせていただきます」「あー、まだ決まってないんですね。野口さん、うちに書かせてくださいよ」
「どういうことでしょうか」「だから、うちに書かせてもらえば大きく載りますと言ってるんですよ」「リークしろと?」。
昭和34年に創業した老舗の食品会社で、業界に限らず国民の誰もが知っているアオイ食品は、世の中が浮かれバブルと呼ばれた時代も、2008年に起きたリーマン・ブラザーズの破綻による世界同時不況の時も、世の中の雑音に惑わされることなく愚直に事業を行ってきていた。おかげで経営は安定している。
バブル景気真っただ中の1989年。当時、アオイ食品のメインバンクだった第一東京銀行が、製造部長にこっそり土地の購入を持ちかけた。新工場建設に意欲を見せていた当時の製造部長にとっては、これ以上ない援軍の出現だったが、それを知った当時の社長が銀行の支店長を呼び「高い買い物はさせないでいただきたい。自分たちの土地は自分たちで探すのでお構いなく」と言い切った。バブルに乗り遅れたくないと土地購入を進言する役員もいたが「バブルは必ず終わる」と頑として首を縦に振らなかった。
逆に言えば、派手なことには見向きもしてこなかっただけに、〝こちらから〞打って出ることが苦手な企業でもある。誰もが一度は食べたことがある国民的なアイスクリーム「マーブルアイス」。発売から50年を迎えた今年、商品ラインアップも新たに積極的な販売戦略が計画されている。今練られている中期経営計画の柱でもある。東京経済新聞の福田亮二からの電話は、そんな只中な時期だった。
他社さんは、うちに書いてほしくて資料を持ってくるんですよ。御社もそろそろならったらどうです?」。相変わらず横柄な態度だなと野口は思った。リーク8割の新聞がろくに取材もせず、企業に言われるまま書いているだけだろ、と内心苦笑していた。「ありがたい申し出ですが、うちはうちのやり方がありますから」と、野口が返すと「ふんっ。お堅いだけの時代は終わったでしょ。真面目な対応しかできない企業は嫌われますよ」と皮肉たっぷりに福田が言い返す。「そうですか……勉強になります。また教えてください」と言うなり、受話器を置いた。
「課長、いいんですか」と背後から部下の佐田文也が声をかけてきた。「何が」と野口がぶっきらぼうに応じる。「相手は東経ですよ。あることないこと書いてきたらどうするんですか」「あることならそのまま、ないことを書いたら抗議するまでだろ」と語気を強める。派手にアピールする広報はいくらでもいるが、地味だが堅実にしかも信頼できる広報となるとそうはいない。野口はどちらかと言えば前者に憧れている後者だった。同僚と仕事帰りに居酒屋へ行っても口数は少なく、話題を振られたからといって周囲に笑顔をふりまくわけでもなかった。会社の仲間にもそんな態度なのだから、記者たちに接する際は言わずもがなである。自覚はあるのだが …