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広報担当者の事件簿

小説で学ぶ危機広報 広報歴2年の良太に降りかかった「社会部取材の洗礼」とは?

佐々木政幸(アズソリューションズ)

    File 紫化学工業・顧客名簿不正転売事件〈前編〉

    【あらすじ】
    2015年2月27日「紫化学工業株式会社」で勤務していた讃岐孝が、会社の顧客データを不正に持ち出し転売したとして、不正競争防止法違反の容疑で逮捕された。広報部は午後3時からの記者会見で事実を公表すると発表したものの、記者からの問い合わせ電話は鳴り止まない。広報歴2年の古川良太にも、社会部記者の容赦ない洗礼が降りかかる─。

    2月27日午前9時05分

    「冗談じゃねえよ、まったく」。憤怒を覚えながら、朝から鳴りやまない新聞社をはじめテレビ局や雑誌社からの電話に、古川良太は受話器を握り続けていた。

    他社の顧客情報を不正に転売した疑いで、警察による事情聴取が2月27日にはじまり、今朝午前7時50分に、紫化学工業株式会社社員の讃岐孝が逮捕されていた。

    大学時代からの友人の渡部健吾を懐柔し、渡部が勤める東京商品販売株式会社の顧客データを持ち出させ、讃岐が顧客情報の不正取得に手を染めたのは昨年7月。以降、12月と今年1月の合計3回にわたり、渡部を利用した讃岐は都内の名簿業者に情報を不正に転売していた。

    名簿業者を装っていた「T情報サービス」はその実、反社会的勢力のフロント企業で、讃岐からデータを買い取った後、警察が以前から内偵を進めていた詐欺集団に横流ししていたことが、詐欺集団の摘発で明らかになった。その後、今回2人にまで捜査のメスが入ったのである。

    不正に転売していたデータは149万件におよび、詐欺集団による被害額は約1万件で40億円を超えていた。讃岐が得た報酬は500万円だったと取り調べを受けている本人の自供で明らかになっており、そのうち渡部には200万円が支払われていた。

    讃岐が警察の任意同行を求められて以後、紫化学工業では社長を本部長とする対策本部が設置され、広報部も顔を揃えていた。広報部員になってまだ2年の良太は「うちも不祥事か…」と今の自分がその渦中にいることの怖さを感じながらも、何をどう対応していけばいいのか分からないまま、対策本部が設置された会議室の入口近くの席で、打ち合わせに耳を傾けているしかすべがなかった。

    もっと営業現場で働きたかった良太にとっては、日頃から業務の中味が見えない広報に興味などなかった。異動の内示に「なんで俺なんだよ」と半ばふて腐れながら広報部に着任したのだが、2年が経ち、「上から言われたことを言えばいいんだから、営業に比べたら楽なもんだ」と、半ば弛緩し始めた矢先での今回の事態である。

    先週の金曜日にはじまり、土日に約束していた彼女とのデートも泣く泣くキャンセルし、讃岐の逮捕に備え“その時”の準備をしてきた良太だが、讃岐逮捕の一報が入って以降、蓋を開けてみれば、マスコミからの嵐のような質問に、用意された想定問答を繰り返すのが精一杯で自分の不甲斐なさを感じながらの対応を余儀なくされていた。

    マスコミから、讃岐の所属や職歴などを聞かれても、個人情報は言うなと対策本部から厳命されており、「御社の社員が起こした事件でしょ!なぜ、所属と職歴を言えないんですか!他人の個人情報が外部に漏れるのは見過ごしても、自社の社員の情報は一切開示しないんですね?理由を聞かせてください」と詰め寄られても「個人情報の観点もございますので…開示いたしかねます」としか対応できない。「御社が隠そうとするなら、こちらも徹底的に取材しますよ」と記者に追い込まれて「…申し訳ございません」と声を絞り出すのがやっとである。

    隣では、「広報とはな……」などど、日頃偉そうなことばかり言っている先輩の高桑も「後ほど記者会見でご説明します」を繰り返すばかりで、マスコミからの質問に対しまともに答えられていない有り様だった。高桑だけではない。他の広報部員にしても各社の記者から浴びせられる非難にも似た詰問に、自席で身体を強張らせながら「申し訳ございません」を繰り返すしかなかった。

    先輩たちの姿を横目で見ながらも、電話が鳴ることに怖さを感じ始めていた良太の机上にある電話がまた鳴った。朝からの繰り返しのように「記者会見でコメントしますのでお待ちください」と対応をしていた良太に、突然「古川さん、広報担当になって何年?」と電話の主である毎朝新聞記者の小暮が矛先の違う質問をしてきた。「2年です」という言葉が良太の口をついた。

    「今回の事件は確かに御社の社員個人が起こした事件だと思う。ただ、世の中は御社を可哀想とか被害者とは見てくれない。会社の方針で会見まで余計なことは言うなと釘を刺されているんでしょうね。お互いにサラリーマン、会社の方針に背くわけにはいかないことも分かります。でもね古川さん、会社の常識は社会の非常識ということがよくある。記者会見で話すから電話では一切開示しませんよ、という姿勢は間違っている。何のために広報部があるのか、なぜ電話で対応をしなければいけないのかを落ち着いたときに考えるといい。蕎麦屋の出前じゃないんだから、言葉に表情を持たないと誰も納得などしてくれないよ」。

    電話越しの小暮のこの言葉が、ささくれ立っていた良太の心に深く突き刺さった。

    「…申し訳ありません。本当に…申し訳ありません」と応じることしかできない良太に「もうその言葉はいいよ。古川さん、会見に来るの?」という小暮の穏やかな口調に戸惑いながらも「はい、参ります」と答えると、「では会見場でお会いしましょう」と兄のような温もりを残し、通話は切られた。

    良太はもちろん、広報部に在籍して6年目の高桑にしても今回ほどの対応は初めてで、およそ経験などないに等しかった。新聞やテレビで報道される企業の不祥事は、所詮他人事に過ぎず「火の粉が自分たちに降りかかる」ことなど考えたこともなかった。

    朝から何十本とかかってきた電話への対応のほとんどを「お答えできません」「確認中です」「記者会見でご説明します」を、録音していたかのように繰り返し、「何を悠長なことを言っているんだ!こっちは時間勝負なんだよ。何のために我々の対応をしてるのか!」と、マスコミに激怒されてしまう対応の繰り返しで、良太を含めた広報部の5人が無力感に押しつぶされそうになっていた。

    午後0時55分

    それでも、鳴り続けていた電話がようやくおとなしくなり、良太が腕にはめた時計を覗くと既に午後1時になろうとしていた。昼食を諦め、今のうちに記者会見用の資料を揃えておこうと準備に取り掛かろうとしたとき、「もう1名御社の社員が関与している。氏名は神山聡史。御社の社員に間違いないか」と、対策本部に警察から連絡があった。

    「神山聡史…讃岐の上司だろ…」記者会見が、あと2時間後に迫っていた……。

    〈後編(次号)〉へ続く

    *この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などは一切関係ありません。

記者会見前のメディア対応どこまで応じるべきか

公表する相手は?

「記者会見までお待ちください」と、記者会見まで一切話さないぞ!と頑なに上司からの言いつけを守る広報もあるようですが …

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