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「PRで売る」ヒントを探せ

墨田区の町工場が取引企業を200倍超に増やせた理由

浜野製作所 浜野慶一社長

「江戸っ子1号」の成功で一躍知名度を上げた浜野製作所(東京都墨田区)。墨田区の町工場再興を胸に取り組んだ産官学連携プロジェクトが企業の、そしてまちのPRに一役買い、会社をどん底から救った─。

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4つある社屋のうちのひとつ。板金加工などを行っている。

    DATA:浜野製作所

    板金・部品加工を行う浜野製作所は1978年創業。大学や他の町工場と連携し、世界で初めて深海約8000メートルで3D撮影できる「江戸っ子1号」の開発に成功し、メディアに多数取り上げられた。

町工場の再興を目指して

ものづくりのまち、東京都墨田区。高度経済成長の屋台骨を支えた町工場が立ち並ぶ一方、後継者不足でその数は大幅に減少。かつての活気を失いつつある。そんな中、浜野製作所では、世界初となる深海用小型無人探索機「江戸っ子1号」の開発をはじめとした、区や大学と連携したプロジェクトに参画。メディアを通じて、高い技術力を全国にアピールし、新規顧客を獲得している。

また、社内のスタッフのモチベーションを高める取り組みにもアイデアがある。若手従業員を外部のプロジェクトに積極的に関わらせることで、技術の向上はもちろん、広報マインドの醸成にもつなげている。「最近は社外からの講演依頼も増えた」という浜野慶一社長に話を聞いた。

浜野社長のアイデア(1)
チャレンジ精神は学生インターンから学べ!産官学連携で社内が変化。

どん底からのスタートだった。両親が他界し、家族経営の町工場を引き継いだのは28歳のとき。2000年に社屋がもらい火で全焼。資金繰りに奔走し、なんとか融資を申し出てくれた企業が見つかったが、融資予定日の直前に倒産した。当時の従業員は2人。営業、経理、配達と1人何役もこなしながら昼夜なく働き、ようやく軌道には乗り出したものの、成長に限界を感じていた。「当時、従業員の間には新しいことを受け入れようとしない、停滞した雰囲気が蔓延していました。何をやってもうまくいきませんでした」と浜野社長は振り返る。

少しでも社内に新しい風を入れたい─。そんな思いでスタートしたのが、産官学連携プロジェクトだった。

きっかけは2003年、墨田区が衰退しつつある町工場の再興を目指し、一橋大学と連携してスタートした、若手経営者を対象にした経営塾。何の気なしに参加したものの、塾を主催する教授とすっかり意気投合した浜野社長は、教授の頼みでゼミ生数人をインターンとして受け入れることになった。

「学生たちは非常に意欲的で、『こうしたら営業利益が上がる』『こうすれば生産効率が上がる』とレポートにまとめてきました。そこで、『そう思うのなら、うちの事業を題材にしていいから、実際にやってごらん』と任せることにしました」。学生たちには、できるだけ自由に仕事をさせ、分からないことがあれば、積極的に従業員に質問させるようにした。

はじめは、あれこれ質問に来る学生を疎ましがっていた従業員たち。しかし、目を輝かせて聞きにくる学生たちに次第に心を開き、徐々に自ら進んで仕事を教えるようになっていったという。「従業員は他人にノウハウを教えず『俺の背中で学べ』というような頑固なタイプが多くて、仕事のマニュアルも作れないほどでした。しかし、学生たちに少しずつ心を開いている従業員を見て、“これはもしかしたら、会社が変わるきっかけになるんじゃないか”と感じました」。

受け入れをスタートしてしばらくは方針に合わずに辞めてしまう人もいた。しかし ...

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