組織で必要とされ、愛されるPRパーソンになるためにはどのような素質を持ち、どのようにスキルを鍛えたらよいのか。大手電機メーカーで18年の広報経験を持ち、江崎グリコのグループ広報部長を務める岡本浩之氏に聞いた。
社内で共有されている目標をメディアに公表した
メディア向け勉強会「グリコ塾」では、「2020年までにポッキーを世界で10億ドル売り上げるグローバルブランドにする」と宣言。以前から社内には共有されていた目標だが、社外には公表されていなかった。「世間に認知してもらうには数値も必要」と社内を説得したという。
広報を軸に視野が広がる
岡本氏は大学卒業後、入社した三洋電機ですぐに広報室に配属された。「営業を希望していたため、少し戸惑った」と明かすが、初めの3年間は毎週発行されていた8ページの社内報やアニュアルレポートづくりに従事。まずは会社情報の基礎を押さえた。その後4年間は大阪でメディア対応を担当。様々な経験をしてきたベテランの新聞記者たちとも渡り合い、彼らの視点、考え方、ニーズを徹底してたたき込まれた。「バブル崩壊前でしたから、記者とは連日のように飲みに行き、そういう席で叱られながら学ぶことが多々ありました」と話す岡本氏、この4年間で得たことがその後のメディアリレーションズの礎になっているという。また、当時の担当の記者たちが、今ではデスクや部長、編集委員となり、今でも教えられることが多いという。
その後、東京本社で経験したグローバル広報でも、さらに視野が広がった。「日本のメディアでは扱っていない話題も、ウォール・ストリート・ジャーナルなど主要海外メディアで報じられている。海外メディアの記者はこういう話題も追っているのか、という発見が常にありました」。英語ができた訳ではなかった。当時のグローバル広報は米国人の部下と日本人の部下の3人体制。特派員の記者をランチに誘い、米国人の部下と1時間みっちり話させる。ネイティブ同士の会話に必死でついていくことが、最良の勉強法だった。
この間、担当していた東南アジアの市場を中心に年間3カ月は現地に行き、海外拠点の広報体制もつくり上げた。
1996年から9年間は人事部門も経験した。入社から10年以上、広報一筋だったことから、別の視点で広報をみるきっかけにもなった。「採用の立場から見れば、日ごろからの広報活動の重要性を感じました。また最後の方では人員整理も担当しましたから、ネガティブな施策を行う際の広報との連携の必要性も学びました」。