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元「TVキャスター&内閣広報室審議官」が読み解く、あの危機の広報対応

3.11原発事故、確かな情報が得られない時、広報はいかに対応すべきだったか

下村健一(慶應義塾大学特別招聘教授)

危機が発生したとき、その後の広報対応によって世の中に与える印象は大きく変わる。本連載では、ある時はメディアの立場で多くの危機を取材し、またある時は激動の時代の内閣広報室で危機対応を行った経験を持つ下村健一氏が、実際にあった危機の広報対応について説く。

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東日本大震災による原発事故の状況について説明する枝野幸男官房長官。刻々と変わる非常事態に刻々と変わる非常事態に原稿を練る時間も無く、言い回しは枝野氏のアドリブに委ねられることも多かった。写真は会見中、状況を記したメモを渡され厳しい表情で見る枝野氏。

間もなく、また3.11が巡って来る。あの東電福島第一原発事故発生から、3年。当時、首相官邸の広報を担当する「内閣広報室」の一員だった私が直面したのは、《確かな情報が何も判らない中での継続的な広報》という超難問だった。国家レベルでも組織レベルでも、同じような事態は、いつまた起こるかわからない。そのとき、あなたが広報担当者だったらどうするか。考える材料として、まずは当時のファクトをこの場であらためて共有したい。

いくら待てども返事は来ない

14:46の震災発生後、官邸の地下にある危機管理センターは、戦場と化した。映画館のスクリーンのような巨大モニターは沢山の画面に分割され、その1つ1つに全部違う映像(しかも突進する真っ黒い津波などの信じ難い光景)が、いやと言うほど同時に映し出されている。その前に何列も並ぶ楕円形の大きな作業卓では、各省庁などから駆け付けた100人は超すであろうスタッフ達が、懸命に電話で情報のカケラを収集している。常に幾十もの張り詰めた声が騒然と交錯している中で、特に重要な断片情報を得た者は、各席の前にあるマイクを通じてセンター全体に響く声でアナウンスする。誰も手は止めないが、表情だけは全員が、その報告を聴くたびに更にこわばる。

まるで突然、映画の中の世界に放り込まれたような非現実感だった。そんな感覚の中で、しかし現実社会に向かって直ちにメッセージを発していかねばならないのが、広報の使命だった。

―――そんな危機管理センターに、当初もたらされた原発関連の情報は、いつもの地震の時と同様に「無事緊急停止した」という報告だった。皆安堵して、地震本体と大津波への対応に全力で立ち向かっていた。

やがて15:27、既に岩手・宮城を襲っていた大津波の第1波が、第一原発に到達した。福山官房副長官(当時)の記憶によると15:40過ぎに、センター全体にアナウンスの声が響いた。「福島第一原発、全交流電源喪失!冷却機能停止!」

このセンターと内閣広報官室と総理執務室を三角形に駆け巡っていた私は、このアナウンスの瞬間は現場にいなかったのだが、福山氏によると、すぐに誰かが「電源はいつ回復するんだ!」と叫び、原子力保安院から「今、問い合わせをしています!」という声が返って来たという。......で、それっきり。実に象徴的な幕開けだった。この、《質問する⇒調査中という返事が来る⇒続報無し》というパターンは、以後、この原発事故に於いて官邸で数えきれないほど繰り返されることになる。しかし、「はっきりした事がわかるまで、広報を休みます」というわけにはいかなかった。国民は今、情報に飢えている。材料無しでも、料理を出さねばならない。今すぐに。一体どうやって!?

曖昧模糊と百家争鳴の狭間で

諸外国のように「報道官」という情報発信専門の担当者(スポークスマン)がいない我が国の官邸では、どんなに陣頭指揮で大変な事態の最中でも、総理大臣や官房長官が自ら記者会見に臨まねばならない。この日もなんとか時間をこじ開けて、16:54から、最初の総理会見を開いた。原発事故に関しては、何も事実が判らない現状の中で、これだけは言った。「原子力施設につきましては、一部の原子力発電所が自動停止いたしましたが、《これまでのところ》外部への放射性物質等の影響は《確認をされておりません》」。

今、手元の情報だけから「影響はありません」と無責任に安心宣言を言い切る根拠は無い。この後どう展開するのかは、いくら専門家達に尋ねても、官邸内(緊急召集された班目春樹・原子力安全委員長ら関係機関トップ3人)は曖昧模糊、官邸外は百家争鳴で、結局確かなことが判らない。ならば、とにかく現時点で届いている報告を愚直に広報するしかない。

この初動の混乱期さえ過ぎれば、情報は次第に整理されて入って来るようになり、それに連れて、広報の内容もしっかり組み立てられるようになる......と、誰もが思っていた。しかし今回は、そうは行かなかった。危機自体がどんどん深刻化して行くので、いつまで経っても新事態への緊急対応で精一杯。"確定材料なき広報"という状態は、いつまでも続くことを余儀なくされた(実際、今でもその状態は継続しているとも言える。低線量被曝の健康への影響見通しなど、未だに科学者の言う事は人によって違うのだから)。

人類初の重大広報の崖っぷち

その後、時々刻々の状況説明会見は枝野官房長官が担当し、菅総理は本当に重大な事態を国民に説明する時に登場する、という分担が決まった。私は、その重大会見の原稿とりまとめ役。発注を受けてから状況を聞いて推敲する時間など無いに決まっているから、こういう非常時には、広報は絶対に蚊帳の外にいてはならない。呼ばれなくても出来る限り総理のすぐ近くにいて、状況をリアルタイムで把握し、常に何通りもの言い回しを自分の頭の中で先回りして用意しては上書きしていった。ほとんど寝ずに迎えた震災3日目には、東電の事故現場全員撤退という事態に備えて、こんな文案も数人で練っていた。「国民の皆さまに、直ちに報告すべきことが生じました。(中略)私は、現場で作業に当たっている方々の生命の安全を勘案し、発電所から退避させる決断をしました。この結果、同発電所に生じる可能性がある事態につき、これからご説明申し上げます。......」

この後に続く文面は、最悪の場合、東日本全体の数千万人への避難要請だった。(周知の通り、実際この要請は誇大妄想ではなく、辛うじて現実化を免れた紙一重の状況だったことが、後日わかった)。お盆休みだけでも大渋滞になるのに、どうやってそんなに大勢が一斉に動くの?入院中の人たちや、施設のお年寄り達は、その移動中に次々に生命を落としてしまうのでは?そもそも、どこにそんな大勢を受け入れる避難場所があるの?東京が無人になって、日本の首都はどこに...?

当然そうした問題に全て手を打ってから会見すべきだが、そんな余力は到底無い。数千万人を一度に動かす指示なんて、人類始まって以来だろう。どんな言葉で広報すれば良いのか、ただ途方に暮れた。夢であって欲しかった。

―――こうした事態が再び起きないという保障は、どこにも無い。その時、ベストの広報とは何なのか。体験を踏まえ、次号で具体的に考えてみたい。

下村健一(しもむら・けんいち)

慶應義塾大学特別招聘教授。1960年東京生まれ、東大法学部卒。TBS報道アナからフリーに転じ、「サタデーずばッと」「NEWS23」等に出演。2010年秋から2年間の内閣広報室審議官を経て、現職。今号の内容は、著書「首相官邸で働いて初めてわかったこと」(朝日新書)に詳述。

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