企画のプレゼンテーションなど、当日の何日も、あるいは何週間も前から準備を始め、すべてを「その瞬間のため」に費やすと聞きます。苦しくつらい期間を経てこそ、ようやく我が世の春を味わうことができる。そのために、いまのすべてを犠牲にして頑張るという経験は、誰しもあることではないでしょうか。
このように、人生の中における一日の価値は均等ではなく、節目節目に訪れる大小のイベントが中心となって、その前後(特に前)の時間が「~のための」という、従属的なものとして捉えられることが少なくありません。
こうした感覚は、古くから仏教や禅の修行観にも見られるものでした。厳しい修行を経てこそ、覚りの春がやってくるのだと、まだ来ぬ未来を信じて修行に打ち込んだのです。
今回は、そうした風潮の中で生まれた、修行と覚りの関係を大きく変える禅語を紹介したいと思います …
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