30年続いた平成の時代が終わり、ついに令和の時代が始まった。企業は引き続き、令和商戦でしのぎを削る。このように、「令和」が人々に浸透するにつれ、近い将来、私たちは平成の時代を「なつかしい」と話すのだろう。そんな時代の変わり目だからこそ考えたい、そもそも「なつかしさ」とはどんな感情なのか。また企業は「なつかしさ」をどう活用し得るか。県立広島大学の向居暁教授が解説する。

「自伝的なつかしさ」と「文化的なつかしさ」
平成から令和に変わる数日前の、ちょっと個人的な話から始めさせていただきたい。「平成最後の」週末の夜を友人たちと楽しもうと広島の繁華街をさまよっていたところ、ベルギービールの銘柄を列挙したパブの看板が目に留まった。
ベルギーと言えば、ミレニアム前後の5年間、博士論文生として過ごした地で、思い入れがある。友人たちの賛同を得て、入店した。90年代に流行した洋楽を聞き、「グーズ」の酸味を久しぶりに味わう。店内にはほかにもベルギービールの個性的なボトルが並んでいる。
するとどうだろう、ベルギー留学中のさまざまな出来事が次々と脳裏に浮かんでくる。細かく鮮やかなその記憶には、複雑な感情も伴う。心地よく、幸せな高揚感に包まれながらも、そこには一抹の寂しさや後悔、喪失感といったほろ苦い感情が点在する。友人たちをほったらかしにして、たったひとりで過去を再体験し、「心の時間旅行」を楽しむ。
なつかしさとは、現在よりも若かったときに、現在よりも一般的であったり、流行していたりしたもの(人、場所、物)に対する好意的な感情と定義されている(1)、(2)。たとえ生まれる前のものでも、主に自分自身のもつ歴史的知識や過去に対するイメージに照らし合わせながら、なつかしさを感じられるとされる。
またなつかしさの感情は、うれしさや悲しさのような基本的な感情ではなく、記憶と感情が合わさって構成されており、ほろ苦くも、甘酸っぱくもある(bitter sweetな)感情だとされている。自分が経験したものであろうとなかろうと、昔なじみのあるものに久しぶりに接することで、その当時の記憶とともに喚起される特別な感情ともいえるだろう(3)。
なつかしさは、それを感じる記憶過程の違いによって、主に2種類に分けられる。一つめは、自分がいつどこで、誰と何をしたかという出来事の記憶、すなわち、自分の経験に基づく「自伝的なつかしさ」である。冒頭で述べた、ベルギービールによって導かれた心の時間旅行に伴って、私が抱いたなつかしさの感情は、個人的な記憶に基づくものだ。
二つめは、同じ文化の中で共有されている社会・文化的記憶に基づいた「文化的なつかしさ」である(4)。私たちが育った文化の中で、「なつかしいもの」として、主にマスメディアを通して作り出され、広められた事柄を知識として学習したものを指す。私たちは、経験していないこと──たとえば田舎の田園風景、「大正浪漫」や「昭和レトロ」と形容されるような大正時代や昭和初期における生活様式や建物にまで、なつかしさを感じることがある。
なつかしさというのは、実際よりも理想化された記憶や知識から生まれる。自分自身に経験や記憶があれば自伝的なつかしさに、それがなくても歴史的知識などの情報があれば、文化的なつかしさになる(5)。
なつかしさに関する研究成果 何がなつかしさをもたらすか
なつかしさを呼び起こすきっかけになるものは日常生活に無数に存在し、私たちは少なくとも週に1度、なつかしさを感じている(6)。
自分自身の経験に基づく「自伝的なつかしさ」が引き起こされるきっかけとしてよく言及されるのは、小中学校の校舎・行事・校歌、昔の流行歌、アニメなどだ。たとえばしばらく時間が経った後の同窓会や母校訪問で、なつかしさの感情が引き起こされる。
他方、昔の日本の風景やセピア色の白黒写真もまた、なつかしさを喚起するものとして挙げられる。これらは必ずしも自分の経験に基づくものではなく、主に「なつかしいもの」としてテレビや映画の中で頻繁に使用されているものであるため、「文化的なつかしさ」のきっかけと考えてもよいだろう(7)。
感覚の違いで見ると、日常生活でも経験可能なように、音楽などの聴覚刺激は、なつかしさを誘発する研究においてよく用いられる。そして、音楽よりも効果的だとされているのが、実は味覚や嗅覚刺激であることもわかっている(8)、(9)。
また昔をなつかしむ傾向には、男女差や年代差があるとされる。一般的には、男性においては年齢とともに徐々に増え、50歳代がピークとなる。一方女性には、40歳代において懐かしさを感じる傾向が比較的高い。しかし全体的に女性は、男性より懐かしむ傾向が低いことがわかっている(7)。
なつかしさを感じることには、さまざまな心理的働きがあることがわかってきた(10)。まずなつかしさを感じることで、個人の内的変化として、孤独感、不安、退屈さが低減することが明らかになっている。また、社会的態度の変化としては、他人に優しくなったり、部外者に対して寛容になったり、寄付行動を高めたり、功利的判断を減少させたりする効果があるとされている。
これらの効果は、なつかしさを感じた人が人間関係を想起し、社会的連帯感を高めることでもたらされると考えられている。結果、自己の連続性(過去の自分と現在の自分がつながっているという感覚)を高めることにつながる。そして同時に、その社会とつながった自己の連続性が、生きるための活力を生み出すと仮定されている(11)、(12)。
逆に言えば、時代が劇的に変わったと感じさせられ、この自己の連続性を確認したくなると、人々はなつかしさを求める。たとえば先日の改元も時代の変化を感じさせるものだったし、前世紀末の「ミレニアム騒動」を思い起こす方もいるだろう。こうしたタイミングでは、「一昔前をなつかしく思う」という現象が、広く一般に認められやすい(13)、(14)、(15)。つまりなつかしさは、単に時間をさかのぼりさえすれば得られるものではなく、「時代の変化」をどれだけ強く感じるかの程度によっても、想起されるかが変わる …