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THROUGH BOUNDARIES

物語の主人公、禅の主人公

宇野 全智(禅僧/曹洞宗総合研究センター研究員)

「本来」と「今」自分を分けない
禅における「主人公」は、「物語の中心人物」ではない。ストーリーに追い立てられすぎるのも考えものだ(写真=123RF)

みなさんは「主人公」という言葉に何を思い浮かべますか。小説や映画、CMでも、「物語の中心人物」が「主人公」でしょう。でもこの言葉、禅で用いると、別の姿を現します。今回は「主人公」から、禅の人間観の面白さをお伝えしたいと思います。

昔、中国に瑞巖彥という和尚がいました。彼は毎日、「おい、主人公」と呼びかけては、自ら「はい」と答えていたと言うのです。なぜそんなことをしていたのでしょうか。

この「主人公」、メインキャラという意味ではありません。禅では、主人公は「あるべき本来の姿」を意味します。

重要なのは「あるべき本来の」という部分です。「あるべき」とは、仏という言葉に集約される理想の人間の在りようとして、自己が正しく実現され、立ち現れていること。「本来の」とは、それは最初から人に内在しているものだということ …

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