住民や企業とつくる クリエイティブな都市
急ピッチで再開発が進む渋谷の街はどう変わるのか。「住民の行動と企業のアイデアを支援していく」と話す長谷部 健 渋谷区長に、将来のビジョンと取り組みについて聞く。
進化を遂げる渋谷
大勢の人が絶えず行き交う渋谷駅前のスクランブル交差点。近年は訪日外国人の人気を集め、それ自体が観光地ともいえる存在だ。そんな渋谷のランドマークの変遷を写真で追う。
大正末期の渋谷駅前。当時は国鉄山手線のほか、「玉電」と呼ばれた玉川電気鉄道玉川線、青山方面に市電青山線が走っていた。写真下には市電の姿も見られる。企業が成長し、西洋文化の影響を受けた新しい文芸・音楽・演劇などが生み出され、都市を中心に大衆文化が花開いた時代。もっとも、その後は関東大震災の発生や経済の浮き沈み、世界的大恐慌へと、激動の時代を迎えることになる。
東横百貨店(現・東急東横店東館)と、玉電ビル(現・西館)、それぞれの屋上を結ぶ観光用ロープウェー「ひばり号」がお目見えしたのは1951(昭和26)年8月。全区間75メートル、ゴンドラ1台に定員12人。1往復して戻ってくるだけだが、空から渋谷の街を眺めることができ人気を博した。ところが1953年、玉電ビルの増築工事に伴い、わずか2年で廃止に。当時4階建ての玉電ビルは11階建ての西館としてリニューアルした。
写真撮影:赤石定次
1967年に東急百貨店本店、翌68年に西武渋谷店が開店し、渋谷が商業集積地として活気づいてきた …