靴修理をはじめとするサービスを国内外で展開する「ミスターミニット」。同チェーンを運営するミニット・アジア・パシフィック社で社長を務めるのは、現在32歳の迫俊亮氏だ。29歳で社長に就任し、大胆な社内改革を実施。その過程で最も重視したのが「現場の声」だったという。
—迫社長は若くして社長に就任しましたが、入社して社長に就くまでの経緯を教えてください。
ミスターミニットに入社する以前は、発展途上国におけるアパレル製品や雑貨の製造・販売などを行う日本企業であるマザーハウスに5年間勤めていました。「途上国から世界に通用するブランドを作る」という目標を掲げ、大きく成長していたのですが、私は「もっとできるはず」という思いを抱えていました。
経営陣のビジネスモデルに間違いはなく、よりスピーディーな成長ができるはずなのに、なかなかそうはならない。「自分が最良のやり方を見出せていないからではないか」と思い、「より経営に近い立場で働きたい」と考えるようになったんです。
そこで、知人を介してユニゾン・キャピタルを紹介され、当時ユニゾンが買収したばかりだったミスターミニットに入社しました。当然ながら、経営経験のない私がいきなり経営に携わることはむずかしく、「がんばっていれば、3年後か4年後ぐらいに幹部クラスくらいにはなれるのではないか」と入社面接時に言われていました。そして最初に担当した海外での実績が認められて、経営企画部長として日本支社に戻され、再建を託されたんです。
ただ日本の状況はひどかった。とくに経営陣と現場との分断はすさまじく、経営側は「我々の計画を実行できない現場はバカだ」と言う一方で、現場は「また経営陣がよくわからないことを言ってきた」と反発する。そうした状況を目の当たりにしたわけです。会社を本質的に改善しようとするなら、経営者でなければ立ち入れない領域が多い。もっと言うと「会社としてのカルチャーや価値観から変えないといけない」と思い、社長に立候補をしたんです。
サービスを提供している業態では「人」によって売上が2~3倍変わる
―海外ではどのような実績を積まれたんですか。
入社直後は海外事業マネージャーというポジションで、主に海外の店舗を見ていました。とくにシンガポールやマレーシアの店舗は赤字が拡大しており、「閉店しよう」という話が出ていました。それでも何事も現場を見てみないことにはわからない。「一日だけ行かせてほしい」と直訴し、当時滞在していたオーストラリアから一泊二日の弾丸視察を行いました。
実際に現地を回ってみると、店内は汚く、店員がチャーハンを食べている状況で、たしかにひどかった。「店内でチャーハンを食べるな」と言えば、次の日は焼きそばを食べるというありさまです。とはいえ、「なんとかなるかもしれない」とも思いました。全然うまくいっていなかったんですが、うまくいっていない理由が明確だったからです。
つまり、従業員にとって売り上げを伸ばす、もしくはよりよいサービスを提供するメリットがなかったということ。いくら努力して売り上げをアップさせても給料は変わらない。それではがんばるわけありませんよね。だからまずは、社員がやる気を出せる人事制度を作ることに注力しました …