ぼっち・努力・コピー
コピーライターになるとは1ミリも考えていなかった二十歳の頃。「絶対いやだ!働きたくない!!怖い!社会が怖い!!」などと某ぼっちのようなメンタルで引きこもりニート生活を送っていました。
名作コピーの時間
コピーライターになるとは1ミリも考えていなかった二十歳の頃。「絶対いやだ!働きたくない!!怖い!社会が怖い!!」などと某ぼっちのようなメンタルで引きこもりニート生活を送っていました。
学生時代ハガキ職人をしていた僕は、おもしろいことを考えて言葉にすればやっていける!という危うい発想を抱えたまま広告の世界に入ってしまった。
この業界に入ってから好きになったコピーはたくさんあるけれど、それらはコピーライターとして「学ぶ」という意識もあって好きになったもので、もちろんそれは悪いことではないのだが、職業意識を持って感銘を受けたコピーを「名作」として選ぼうと思った時に、ふと10代の僕が疑わしそうな目でじっと40代の僕を見ているのに気付く。
「あんた、今日とくダネで小倉さんが紹介してた広告知ってるか?お母さんめちゃくちゃ感動したわ。コピーライターってすごいなぁ」という電話が実家からかかってきたのは、大学4年生のときだった。
TCCに限らず、年鑑に載るような仕事は、みんなが目指す山になると思っています。なので、せこくてラクしたい私は、できるだけ「自分だけが目指す山」を見つけたいと日々思っています。
私はラジオが好きだ。内ポケットにいつもトランジスタ・ラジオの青春。大人になりつくる側も経験している今、仕事としてのラジオもいい。
小学生の頃の夢は3つあった。1つ目は、「『いいとも』の司会者」になること。2つ目は、「ジャニーズ事務所に入る」こと。
自分のコピーに対する性癖を考えると、色っぽさにあるように思う。市場調査から導き出されたものだけでなく、その墨文字に彩りを加えられる人に、憧れます。
コピーは恐ろしい。それは前触れなく現れ、ときに見た人の人生を変えてしまう。
サントリーの広告に憧れて、この世界に入りました。1980年代、当時、きら星のようなクリエイターの方たちがサントリーの仕事をされていて、それはそれはみなさん輝いていました。