【テレビCM’60ー’70】黎明期を駆け抜け文化ができ上がった
小田桐昭さんが電通に入社したのは、1961年。テレビのカラー放送が始まるタイミングだった。当時のCMといえば「生コマ」。番組の中で生放送されるコマーシャルが主流だった。そんな中アートディレクターを目指していた小田桐さんはCMプランナーとなり、フィルム撮影のCM黎明期の表現を切り拓いていった。
「ブレーン」では昨年、700号を迎えたことを機に、現在のクリエイティブに通じる礎となった日本の広告(CMとグラフィック)を、第一線で活躍するクリエイターの皆さんと振り返る機会を設けました。今のようなデジタルの技術もSNSもない時代に、多くの人々の心を捉え、また動かしてきた広告。そこにはどのようなアイデアとメッセージがあったのか。これらの広告を改めてきちんと見ること。そして、その本質を学ぶこと。それはメディアや手法が多様になった現在であっても、これからのクリエイティブを考える上での多くのヒントになるのではないかと私たちは考えました。本特集では、6組のクリエイターたちがそれぞれの視点で時代を代表するクリエイティブ、自身が影響を受けたクリエイティブをその時代背景と共に紹介します。
小田桐昭さんが電通に入社したのは、1961年。テレビのカラー放送が始まるタイミングだった。当時のCMといえば「生コマ」。番組の中で生放送されるコマーシャルが主流だった。そんな中アートディレクターを目指していた小田桐さんはCMプランナーとなり、フィルム撮影のCM黎明期の表現を切り拓いていった。
資生堂をはじめ、杉山登志さんが手がけた名作広告について、ディレクターとして第一線で活躍している東北新社の中島信也さんに聞いた。
80~90年代は「CMの新しい方法論を探して、クリエイターたちが積極的に知恵を絞り合っていた」とクロロスのクリエイティブディレクター 黒須美彦さんは話す。当時活躍していたCM制作者と共に、印象に残ったCMを振り返る。
自身も多数の名作CMを手がけている電通の澤本嘉光さんとcatchの福部明浩さん。現在、テレビCMの世界でトップランナーを走るお2人に、2000年代のCMの中からそれぞれお気に入りの10本セレクトしてもらった。
70年代に東京で20代を過ごし、80年代にはサン・アドで切磋琢磨し競い合う関係だった、アートディレクターの副田高行さんと葛西薫さん。同じ時代の空気を吸い、その中で成長してきた2人が当時を振り返る。
80~90年代の回には同世代の3名のアートディレクターが登場。TUGBOAT2の加藤建吾さん、FLAMEの古平正義さん、電通の田中元さんが、当時の広告と、それぞれの出会った時の心境を語り合った。
アートディレクターの仕事の範囲が近年広告を超えて広がっている。ここからは2000年以降のアートディレクションを、博報堂の小杉幸一さん、電通の八木義博さんと振り返る。