平成インターネット広告を振り返る
急速に進んだインターネットの進化、メディアやデバイスの変化に合わせてインターネット広告も多様な形に発展を遂げてきた。平成が終わるいま、ネット広告の黎明期から携わる4名のクリエイターに集まってもらい、その変遷をたどった。
広告、デザイン、ファッション、建築、写真、アートなど、さまざまな分野で活躍するクリエイターが参加し、クリエイティブの本質、発想の原点について語り合う。
急速に進んだインターネットの進化、メディアやデバイスの変化に合わせてインターネット広告も多様な形に発展を遂げてきた。平成が終わるいま、ネット広告の黎明期から携わる4名のクリエイターに集まってもらい、その変遷をたどった。
多様性やダイバーシティが叫ばれる昨今、さまざまなアプローチで障害と向き合うクリエイターが登場しています。また、テクノロジーの進化もあって、障害という壁はかつてに比べて、低くなってきたようにも感じます。でも、それは本当でしょうか。
2018年もさまざまなクリエイターがエージェンシーから独立し、新たなスタートを切りました。その中で、エージェンシーでもない、クリエイティブブティックでもない、デザインコンサルやスタジオでもない…これまでにない形のクリエイティブ組織が新たに生まれています。会社という組織に縛られることなく、つくり手同士がフラットな関係でつながり、一つのチームをつくり、一から仕事に取り組む。その目的は、クリエイティビティを最大限に使って課題を解決し、よりよいアウトプットを世に送り出すことです。
映像メディアの広がりと共に、テレビ一強時代が終わり、人々が「いいね!」と思う表現の幅が広がってきています。かっこいい映像でもなく、かわいい何かが出てくる映像でもなく、世の中の人の共感を集める映像でもなく、「なんだかよくわからないけれど面白い」「ツボる」「一度見たらクセになる」「ヤバい」⋯、思わずそんなつぶやきが漏れてしまうような映像。
2017年秋に生まれた、稲垣吾郎さん、草なぎ剛さん、香取慎吾さんによる「新しい地図」。CM、映画、舞台、アートをはじめ、さまざまなシーンで活躍し、目にしない日はありません。その活動はグループ名でもない、会社名でもない、「新しい地図」という旗印が掲げられたことから始まりました。
例えば海外広告賞のカテゴリーの変化を見てもわかるように、広告の捉える領域が広がりつつあるのは自明のことです。しかし、その一方で広告界の仕事の進め方、考え方、構造などは従来通りのことがまだまだ多く見受けられます。しかし、これからの広告のあり方を考えると、つくり手であるクリエイターが意識を変え、行動を変えていく必要があります。それを実践していくことは、つくり手にとっては大きなチャレンジです。
近年、音の表現がこれまでにまして多様になってきています。かつては音の表現といえば、レコードやCDのジャケット、さらにはミュージックビデオのような映像が主でした。しかし、それだけにはとどまらず、工場の音を視覚化した「INDUSTRIAL JP」のような表現、また音楽をさまざまなな構造物として取り上げた「音のアーキテクチャ」のような展覧会、さらには音と美術の領域を行き来して表現するアーティストたちの活動の活発化など、その表現には広がりが生まれています。なぜ今、こうした形で音の映像・ビジュアル表現に新しい兆しが見られるようになったのか。
今年も、カンヌライオンズが終了しました。部門の新設やカテゴリーの廃止、部門ごとの審査員の人数を絞るなど、カンヌライオンズのあり方そのものが変化をした2018年。各部門の審査はどのように行われたのか。そして、世界における広告そのものありかたはどのように変わったのか。その中で、日本の広告はどうだったのか?そして、カンヌライオンズは日本でクリエイティブに携わる人たちにとって、いま何をもたらしてくれるのか。
ものづくりには、さまざまな形態があります。広告であれば、さまざまな職種が集まり、チームをつくって、ひとつのクリエイティブをつくりあげていきます。アーティストであれば、基本的に一人で自分が思うままに作品をつくりあげていきます。そんな中、ここ数年、アートやクリエイティブの世界に「ユニット」という形態でものづくりをする人が増えています。一人じゃなくて、二人、あるいは三人だからつくることができるものとは何であるのか。また会社という形態ではなく、ユニットとして活動する意味とは?
スマートフォンやタブレットをはじめ、デジタル機器があたりまえのように生活の中にある子どもたち。ベビーカーに乗っている小さな子どもですら器用にスマートフォンを操作します。そして、テレビではなくYouTubeを視聴し、将来なりたい職業には「YouTuber」が浮上。知りたいことがあれば本を読まずに検索するなど、いまの子どもたちは、大人たちが想像しえない行動が当たり前になりつつあります。