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青山デザイン会議

島の暮らしから生まれるアイデア

あまづつみまなみ、鈴木円香、三村ひかり

服づくりをしたり、ワーケーションをしたり、農業をしたり。今回、青山デザイン会議でスポットを当てたのは、コロナ禍で地方への移住がブームになるなか、“島”をフィールドに活動する皆さん。

生まれ育った淡路島へUターンし、ブランド「萌蘖/hougetsu」を設立、伝統的な藍染めの漁師着「どんざ」を現代風にアレンジした「島のふく」や、ジェンダーレスな野良着「ノラふく」などをデザインする、あまづつみまなみさん。ニュースメディア「ウートピ」編集長を務める傍ら、五島列島を舞台にワーケーションの企画運営などを手がける、一般社団法人みつめる旅の鈴木円香さん。小豆島でオーガニック農園「HOMEMAKERS」を営み、旬の野菜を全国に向けて販売するほか、島の暮らしを伝える「小豆島カメラ」などの活動も行う、三村ひかりさん。

島に魅せられた3人の女性が、島暮らしの面白さや、そこから生まれるアイデア、さまざまなプロジェクトについて語り合いました。

Text:rewrite_W

私たちが島で暮らすことを選んだ理由

鈴木:元々は書籍の編集者で、6年前に独立して、Webメディアの編集長や企業のコンサルティングなどをしていました。今は東京に住みながら、4人のメンバーと一緒に、九州の西の端にある長崎県の五島列島で「一般社団法人みつめる旅」という団体をつくって、企業研修やワーケーションの企画運営もしています。

あまづつみ:私は生まれが淡路島で、東京でアパレル企業に勤めていました。その後、自分のブランドを横浜で立ち上げ、2009年に淡路にUターンしたんです。

三村:9年前に、暮らしや生き方を変えたいと思って、夫の祖父が住んでいた小豆島に移住しました。メインは農業で、年間100種類以上の野菜を育てて、宅配で全国に販売したり、ジンジャーシロップなどの加工品を販売したり。毎週土曜日だけ、自宅を改修したカフェも開いています。

鈴木:私、出身が明石なので、あまづつみさんのところと近いんです。島にハマったきっかけは4年ほど前、移住した友だちのところに家族で遊びに行ったこと。五島って商売っ気が全然なくて、10日間ほど滞在したのに、ガソリン代の5000円しか使わなくて。そのとき「この島のために何かできることはないだろうか」と感じたんです。

あまづつみ:私は元々、島が好きではなかったのですが、戻ってみると、小さい頃のままの風景が残っていたことに、しっくりきて。6~7年前に、滋賀の自然農をしている友だちから野良着をつくってほしいと頼まれて、淡路と滋賀を行き来してものづくりを続けています。また10年前には、藍染めを使った伝統的な漁師着「どんざ」を現代風にアレンジした“島のふく”をつくり、4年前から淡路島の人たちと「島のふくプロジェクト」を立ち上げました。

三村:以前から、自分のブランドを持ちたいと思っていたんですか?

あまづつみ:いえ、横浜にいた頃、幼稚園のお母さんたちから「洋服をつくってほしい」と言われて、それに応えているうちにブランドになっていたという感じです。事務所を借りようと思って、試しに淡路で探してみたら、家賃と広さの違いに感動して、「ここで生活できるんちゃう?」って。

鈴木:私も、五島の風景がとても居心地よく感じて。赤土で、イタリアのようでもあるし、アフリカのようでもある。三村さんのやっている「小豆島カメラ」のホームページにも「観光の写真ではなく暮らしの写真を」と書いてありましたが、まさに五島って毎日が絶景。最初は、地元の写真家さんの作品を写真集にまとめるプロジェクトからスタートしました。

三村:小豆島カメラは、島に暮らす7人のメンバーで、2013年から続けているプロジェクトです。1日1枚、ここで暮らしているからこそ撮れる写真をアップしていて、もう2000枚以上。あとは個人的に、移住した半年後くらいから、マガジンハウスのWebマガジン「コロカル」で「小豆島日記」という連載もしています。

鈴木:ひと口に「島」といってもいろいろじゃないですか。たとえば、淡路島や小豆島の人口ってどのくらいなんですか?

あまづつみ:淡路島は13万人ぐらい。琵琶湖とか東京都と同じぐらい広くて、“島感”があまりないんですよね。

三村:小豆島は、瀬戸内海で淡路島に次ぐ2番目の島といわれていて、2万6000人ぐらい。船で高松にも岡山にも姫路にも行ける、移住しやすい島として人気で、毎年400人くらいが移住しています。それでも、私たちが移住した2012年には3万人以上いたので、かなり減っています。

鈴木:五島列島には約150の島があって、一番大きな福江島で人口3万4000人、列島全体だと6万人ちょっとで、年間700人ぐらい減っているのかな。ただ、福江島のある五島市には年間200人以上が移住していて、2020年には65年ぶりに転入者が転出者を上回る社会増を実現しました。

三村:すごい!

鈴木:ただ、お年寄りがどんどん減っているので、マイナスなんですけど……。

    MANAMI AMAZUTSUMI’S WORKS

    島のふく
    島海ベスト(上)、島のふく-HAREGI-(下)、コットン2wayワンピース(右)など、島の光、島の風、島の海をそのまま形にした、島じかんを味わう晴れ着。2013年、淡路島の伝統的な藍染の漁師着「どんざ」との出会いをきっかけに制作をスタート。淡路島で育てた藍、玉ねぎ、刈萱などで染色した糸を使用し、地元の織工房いついろとともに創作を続けている。

    ノラふく
    滋賀県で自然農を行う「ノラノコ」とともにつくった野良着。ジェンダーレスで着られ、作業のあと着替えることなく出かけられる。スペイン・マドリードのボタニカル染めブランド Aletheiaとのコラボ作品(右上)も。

    Kadhi-KOHAN-
    インド北部で伝統的につくられている手紡ぎ・手織りのコットン素材、Kadhi(カディ)を使用。正藍染グラデーションなど、手作業がふんだんに使われた温かな一枚。

島だからこそできる循環型のものづくり

あまづつみ:私が引っ越した頃は移住者もまだ少なくて、なかなか自分の居場所が見つけられなくて苦労しました。ご近所さんとコミュニケーションを取りたかったので、自宅を開放してワークショップをやったり、酵素づくりをしたりして。

鈴木:そう、島の人たちって、みんなものづくりが大好きですよね。基本つくるのが当たり前で、島の本屋さんには、DIY本がすごく充実している(笑)。

三村:食べるものにしても、味噌のような調味料から、漬物や梅干しまで、自分でつくる人が多いですね。私たちの「HOMEMAKERS」という屋号も「家事をする人」という意味ですが、移住してきた人たちは、農業にしても料理にしても熱心にやっている気がします。

鈴木:都会で消費することに飽きたり、疲れたり。軽井沢や伊豆に移住する人と、島に移住する人とでは、明らかに方向性が違いますよね。

三村:私たちも最初は、自分たちが食べる分とカフェで使う分の野菜をつくろうと思って始めたのですが、新規就農者の補助金があると教わって、本格的に農業に取り組んでみることにしました。でも小豆島で農業を生業にするのって、すごく不利なんです。

鈴木:それはどうして?

三村:土地が狭くて、畑に適した広い平地が少ないんです。野菜を育てている人も多いし、そもそも人口が少ないので、島の外に向けて販売することを考えないといけない。あまづつみさんのように、その人しかつくれないものとは違って、野菜は全国どこでもつくれるし、本当は地元の野菜を食べる方がスマートだと思いますし。

あまづつみ:私も毎シーズン流行が変わるファッション業界にいましたが、淡路に来て、地に還る服づくり、循環型のものづくりをしたいと考えるようになりました。それから空間が広くなると思考も広くなるというか、つくる量自体も増えて。

三村:へえ、そうなんですね。

あまづつみ:そんなときに、昔からある藍染めと出会って、100年経っても着られるし、これはなくしちゃいけないなと。当時は日常で着られる服もなかったので、「野良着をつくってほしい」と言われたことが、すごく自分の中でフィットして。滋賀に通って、お米を育てながら制作していったのですが、そのうちに自分のやりたいことが明確になっていきました。

鈴木:ワーケーションで五島に来て、地元の人と仲良くなって、「定期便があるなら買います」みたいなことは、たくさん起きてますね。単にモノを買うというより、その関係性にお金を払うという感じで。

あまづつみ:私も淡路島産の食材で酵素シロップをつくっていて、それが高じて今、ジューススタンドもやっているんです。最近は島で藍染めもしているので、玉ねぎの皮を使った染料を重ねたり、縫製も指導して一枚一枚手で縫ったり。気付いたら自然と、地域に根付く形になっていました。

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