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クリエイターが知っておきたいバーチャル表現の基礎知識と倫理観

混生と自遊 Withコロナ時代のバーチャル表現

出口康夫(京都大学)

テクノロジーと人が調和し、リアルとバーチャルの分断を乗り越え、人類が豊かに生きるための新たな視点。これを「包摂的なパラレルワールド観」とし、京都大学とNTTは研究を進めている。特にコロナ禍でリアルとバーチャルとの融合が進む中、本稿では哲学の視点からバーチャル表現の在り方を探る。

脱効率化のグローバリゼーションと遠隔化

Withコロナ、アフターコロナの社会は、コロナ以前の社会に比べても、バーチャルとリアルがより一層融合したパラリアル社会となるだろう。本論では、筆者とNTTとの共同研究をも踏まえ、このパラリアルなコロナ社会のキーワードとして「混生(こんせい)」と「自遊(じゆう)」を提案した上で、来るべき時代を支えるバーチャル表現の可能性を探りたい。

コロナパンデミック下にあって、我々はさまざまな事柄について再考を迫られている。その中にはグローバリゼーションと遠隔化の在り方も含まれる。

コロナパンデミックは、個々人の暮らしと健康が、いかに人類社会、グローバルな生態系、さらには地球物理系(ジオシステム)といった、我々を取り巻く「全体(ホロス)」と直結しているかを改めて示した。人類社会・地球生態系・ジオシステムを含んだこのホーリスティック(全体論的)なシステムは、しばしば「生存圏」と呼ばれる。コロナパンデミックは、この生存圏における大小無数の要因が複雑に絡み合って生じた、「生存圏災害」とでも呼べる事態なのである。

またコロナパンデミックは、一部の国や地域をホロスから切り離し、その内部に閉じこもることでやり過ごすことができる災害でもない。いかに国境管理を厳重にしても、ウイルスはいつかは検疫の壁をすり抜けるだろうし、ワクチンや特効薬の開発と大量生産、大量配布、さらには新たなウイルスの発現の予防と早期発見、早期の感染制御は国際的な協調体制なしには不可能なのである。

このような意味で、現在、一旦は止まっているグローバルな人の流れもいずれは再開されるだろうし、そうなってしかるべきである。だがコロナ以前のグローバリゼーションに逆戻りすることは、我々にはもはやできない。

ビフォーコロナのグローバリゼーションは、40年ほど前にリオタールが描いた、効率化に一元支配された「ポストモダンディストピア」の究極形態だった。効率化をひたすら追い求め、人と資本のボーダーレスな流動性を高めることで、少数の富める人々や地域はますます富み、大多数の人々や地域はより貧しく衰退していく。そして「なぜそこまで効率化されなければならないのか」という我々の叫びは、「それが効率的だからだ」というトートロジー(同語反復)的回答によって封殺されるのである。

このような「効率化のためのグローバリゼーション」を戯画化したのがオーバーツーリズムの光景であった。徹底的に効率化された短時間、低料金のツーリズムの集中豪雨が世界の観光地を襲い、経済効果と引き換えに地域の人間らしい暮らしを破壊していた。このような事態の再来を防ぐためには、効率化の一元支配に風穴を開ける、「脱効率的なグローバリゼーション」を構想し実現する必要があるのである。

遠隔化に関しても話は同じである。パンデミック下、世界中でリモートワークや遠隔授業が実施され、遠隔環境であっても、企業や大学、そして社会が、ある程度、運営できることが実証されつつある。このような状況を受けて、今後、社会の遠隔化は不可避であろう。だがこの遠隔化は、「効率化の一元支配」を一層強化するものであってはならない。それは「脱効率化のための遠隔化」でなければならないのである。

混生社会という概念

では「脱効率的なグローバリゼーション」「脱効率化のための遠隔化」とはどのようなものか?それらを組み込んだアフターコロナのあるべき社会とはいかなるものか?これらの問いに答えるために、ここで「混生」なる概念を導入してみよう。「混生」の「混」には、それが持つ「混(ま)じる」と「混(こ)む」という二つの意味が込められている。

まず「混じる生」としての「混生」とは...

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