「青天の霹靂」、とらや、POLSなど多岐にわたるブランディングの仕事のほか、書籍の装丁も手がけているサン・アド白井陽平さん。多様な仕事を手がける中で、自分の仕事がその先にある社会とどうのように繋がっているのかを、常に意識しているという。
人間の根底に流れているものを掴んで表現する
──白井さんは、学生時代にグラフィックを学んだわけではないんですよね?
僕はちょっと変な方向からグラフィックの世界に入っているんです(笑)。出身は、千葉大学工学部の工業意匠科。そこで工業プロダクトのデザインを、その後は大学院で2年間、認知心理学を学びました。当時は就職氷河期でフリーターという言葉が流行りだした頃。僕も就職せずにフラフラしていたんですが、やっぱりデザインをやりたいという気持ちがありました。就職先を探していたときに偶然、雑誌で見つけたのがサン・アドの募集広告。
そこにはいろいろなプロダクションの広告が掲載されていましたが、サン・アドの広告には「面接で大人が言うことなんてほぼ信じなくていい、50%ぐらいの気持ちで聞いていればいい」というような文章が書かれていて。コピーライター蛭田瑞穂さんが書いたものですが、こんな風にニヒルに本音を書いている会社は他にはありませんでした。僕もひねくれていたから、ここなら働けるかもしれないと思って、グラフィックの作品はほぼなかったのですが応募してみたら、なぜか受かりました。
──グラフィックや広告に興味があったわけではなく、「デザインをやりたい」という気持ちで入社したんですね。
そうなんです。広告のことも全く知らず、そこから必死になって勉強しました。ただ、昔から絵を描くことやモノをつくることは好きでした。中学生まで絵画教室に通って絵を描いたり、小学生の頃にはコンピュータのプログラミングに興味を持って。親にベーシック言語のMSXを買ってもらって、本を見ながら独学でゲームのようなものをつくっていましたね。子どもの頃から物理や自然科学も好きで、目の前でモノができていったり、何かが起きていることを見ては、それがどう成り立っているのかを解明しようとしたり。
自分なりに考えることが好きでした。そういう部分とモノをつくること、表現することが自分の中では繋がっていて。それを、サン・アドの広告にも感じました。サン・アドの昔の広告、特にお酒の広告は単純に商品の価値だけを伝えるのではなく、人間の根底に流れているものを掴みながら表現している。そういうことが自分にもできたら嬉しいなという気持ちがありました。そんな経緯でサン・アドに入って、もうすぐ19年になります。
──グラフィックや広告が面白いと思うようになったのは、いつ頃からですか?
入社後の数年間は、先輩の下について教えていただきましたが、「早く自分の考えでデザインしたい」という思いを抑えながら仕事をしていました。30歳のときに...