クリエイターのオフィスを訪ねると、よく見かける、大きな本棚。忙しい仕事の合間に、クリエイターたちはどんな本を読んで、どのように仕事に生かしているのか。今回は、書体一つひとつを食になぞらえた書籍『文字の食卓』で注目を集めている文筆家 正木香子さんです。仕事や人生に影響を受けた本について聞きました。
『密やかな結晶』
小川洋子(著)
(講談社文庫)
『妊娠カレンダー』『博士の愛した数式』の芥川賞作家が描く美しい物語。「記憶狩り」によって消滅が静かにすすむ島では、日常にあったものの記憶が次々と消滅し、人々は自分が何をなくしたのかさえ思いだせない。
「文字」「書体」について書こうとするとき、いつもこの小説を思い浮かべる。本や雑誌、広告を通して届く言葉は、誰かの手によってたったひとつの書体が選ばれている。でも選ばれなかった無数の書体の不在には気づかない。当たり前のように、書体の名前を知らずに見ている文字というものは、心の中の密やかな場所にある不思議な存在だ。読むひとによってさまざまな読みとり方ができる小説だけれど、私にとっての「密やかな結晶」は文字であり、言葉である。そうであったらいいなと願う …