いつの時代も、人の心を捉え、動かしてきたさまざまなクリエイティブがある。そのアイデアや考え方が、日本のクリエイティブをどのように変えてきたのか。そこから私たちは何を学ぶことができるのか。第5回目は、浅葉克己さんに聞きました。
「薪の束」と言われたライトパブリシティに入社
──浅葉さんのデザイナーとしてのキャリアの原点について教えてください。
僕は県立神奈川工業高校図案科入学、3人の先生にデザインを叩き込まれました。丸井先生は伝統デザイン、佐藤先生は前衛とデザイン、中里先生は写真とデザイン。そして、アメリカのソウル・スタインベルグの『ALL IN LINE』。一本の線で地球を回って、その土地の風景や人々の暮らしを表現した本。それに憧れて、イラストレーターになりたいと思っていました。月光荘のスケッチブックにイラストを模写して、そこから独自のイラストレーションをつくろうと描き続けていました。
桑沢デザイン研究所で勉強した後は、文字の世界も深いと思い、「絵は500年、字は1000年残る」とよく言っていた佐藤敬之輔さんのタイポグラフィ研究所に入社し、イラストと文字の両方で研鑽を積んでいました。同じ高校の同級生だった村瀬秀明や柳町恒彦は広告業界に行っていたので、しばらくすると広告もおもしろそうと思うようになりました。ちょうどその頃にライトパブリシティのタイポグラフィの担当者が腕を骨折して代わりを探していたらしく、先輩の細谷巌さん、志村和信さんが僕を推薦してくれて、ライトパブリシティに入社することになったんです。ここから本格的に広告の世界へ入っていきました。
──浅葉さんが当時、影響を受けた広告には、どんなものがありますか。
南極探検隊のアーネスト・シャックルトンがロンドンタイムスに英文で出した求人広告です。「探検隊員を求む。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い月日。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と称賛を得る」という文言の広告が僕にとっての原点であり、最高の広告です。20人の隊員を募集したところ、広告を見て感動した人たちが5千人集まったと聞きました …