いつの時代にも、人々の心を捉え、動かしてきたさまざまなクリエイティブがある。そのアイデアや考え方が日本のクリエイティブをどのように変えてきたのか。そこから私たちは何を学ぶことができるのか。第2回目は、副田高行さんに聞きました。

副田高行(そえだ・たかゆき)
1950年福岡県生まれ、東京育ち。アートディレクター。東京都立工芸高校デザイン科卒業、スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て、副田デザイン制作所主宰。主な仕事に、トヨタ「ECOPROJECT」「ReBORN」、サントリー「ウイスキー飲もう気分」、シャープ「AQUOS」、高橋酒造「しろ」、ANA「ニューヨークへ、行こう」、earth music&ecologyなど。2018年に自身が手がけた新聞広告を展示する「時代の空気。副田高行がつくった新聞広告100選。」展を行った。
日本のデザインにも影響を与えたDDB
──副田さんが、最初に意識したグラフィックデザインはどんなものでしたか。
都立工芸高校デザイン科の高校生だった頃に、街の資生堂チェーンストアに貼られていた資生堂の夏のポスターですね。1966年のことです。当時主流だった日本的な女性が登場するポスターと違って、褐色の肌の前田美波里さんが白の水着姿で、カメラに対して挑発的な目線を送っている。その写真を見て、「なんてドキドキするポスターだろう」と思いました。
卒業後、高校の先生の紹介で小さなデザイン事務所に入りましたが、資生堂のポスターの仕事と自分の仕事のギャップが大きすぎて、これでいいのか?と悩んでいました。その頃見たのが、「男は黙ってサッポロビール」の広告。ぶっ飛びました。サッポロビールという商品名はあるものの、ボディコピーも商品もマークもない。国際的スターである三船敏郎さんをまるでスナップのようにカジュアルに撮っているし、ビールの泡もシズルを大切にして撮っている感じでもなくて。
これはいまでも僕にとっては「神様」であるライトパブリシティのアートディレクター 細谷巖さん、コピーライター 秋山晶さんの仕事。後に細谷さんに聞いたら、三船さんがたくさん出演していた黒澤映画に負けない1枚をつくろうと思って制作したことを知りました。僕もこういう仕事がしたいと思ったけれど、何のキャリアも実績もなければ広告会社に入ることはできません。そこで一般公募のある朝日広告賞に挑戦してみたら入選することができたんです。その入選作を引っ提げて渋谷にあった広告会社スタンダード通信社の入社試験を受けたら、入選が効いたのか入社できたんです。
スタンダード通信社では廊下に毎日、いろいろな新聞広告が貼り出されていました。そこで見たのが、国際羊毛事務局のウールマークの広告です。中でもコピーライター 西村佳也さんが書いた「さくさくさく ぱちん。」というコピーに、はさみのビジュアルはとてもインパクトがありました。
ウールマークシリーズのアートディレクターは、中島祥文さん。中島さんと西村さんはテーラーなどを回って取材をして、ウールには機能面で優れたところがたくさんあることを知り、その発見や驚きを広告に落とし込んだ、と聞きました。そのデザインスタイルは、日本の広告人にとってお手本となったアメリカの広告会社DDBがつくった広告です。
DDBの代表的な仕事はフォルクスワーゲンで、「Think small.」キャンペーンは画面の中にぽつんと車があるだけの、とてもシンプルなビジュアル。物事の本質をとらえようとする、実に即物的な表現ですが、そのコピーとデザインにアイデアがある。そしてDDBの広告は、コピーライターとアートディレクターでつくる広告の基本として知られていました。その王道を行ったのが、中島さんです。
当時、DDBのスタイルにならってつくられた広告もありましたが、デザインのうわべだけを模したものも多かった。その中で、中島さんが手がけたウールーマークのシリーズはその頂点とも言えるものでした。僕自身はDDBの広告作法を直接学んだことがないのですが、ウールマークの広告やキユーピーの広告を見て、そこから孫請け的に学んだのです。
キユーピーはライトパブリシティの細谷さんと秋山さんのコンビで制作されており、その制作スタイルからしてDDB的。でもライトの表現には独自のグラフィカルなトーンがあり、DDBのスタイルを踏襲しながらも、当時すでにライトならではの表現になっていました。
キユーピーで言えば、マヨネーズの広告なのに野菜だけがポンとあって、どこにも商品は出てきません。野菜を切り口に毎年表現を変えていて、時にはアメリカの砂漠に野菜だけが置かれ、「植物はイライラを止める力がある」というコピーが書かれていたり。人間と社会という構造で、日本人の野菜不足をメッセージしていました。いまも変わらず、キユーピーは時代に合わせて表現し続けています …