2017年秋に生まれた、稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんによる「新しい地図」。CM、映画、舞台、アートをはじめ、さまざまなシーンで活躍し、目にしない日はありません。その活動はグループ名でもない、会社名でもない、「新しい地図」という旗印が掲げられたことから始まりました。
今回の青山デザイン会議は、「新しい地図」のクリエイティブディレクターを務めた多田琢さん、山崎隆明さん、権八成裕さん、そしてサントリーのCMに起用したクリエイティブディレクター 髙崎卓馬さんにお集まりいただきました。「新しい地図」の登場から1年を経て、いまどんな風景が見えてきたのか、4人がじっくりと話し合いました。
「新しい地図」という「風林火山」のような旗を立てる
髙崎:「新しい地図」がスタートして1年、当時の想像をはるかに超える活躍ぶりですが、最初の経緯ってどんな感じだったんですか?
権八:香取くん、草彅くん、稲垣くんの3人が9月にジャニーズ事務所を辞めるときに、彼らのプロデューサーである飯島さんが僕と多田さんに声を掛けてくださった。そこから今後についての話し合いがはじまり、途中から山崎さんも参加して、この3人で「新しい地図」のことを考えていきました。
山崎:今後の活動について多田くんたちと一緒にやってほしいと飯島さんに誘ってもらって、やりますと即答したものの最初は何をやるのかわかりませんでした。
多田:飯島さんからは「3人は映画や舞台が好きだからやらせてあげたい、慎吾にはアートや服をやらせてあげたい」といろんな展望は聞いてたけど、当初は具体的なことは決まっていませんでした。ただ5人が3人のグループになったわけではなく、1人ひとりが独立して同時に復活するということだけは明確でした。それならばどうするべきかと考えたとき、本人たちもスタッフもファンも共有できる「何か」が必要だと思いました。それで例えば3人の活動の旗印になるような映像と概念、そして名前が入ったものをつくったらどうだろうかと思ったんです。
山崎:言ってみれば企業のステートメントフィルムのようなイメージですよね。
多田:この人たちは何者で、何をやろうとしているのか、映像としてわかるものをつくろうと。勝手にBrand Filmと名付けて。そこに掲げるものはチーム名でも会社名でもない、とすると何か?武田信玄が掲げた「風林火山」の旗のようなイメージがいいんじゃないかと。そのとき、権八が考えてきた案の一つが「新しい地図」だった。
権八:立場的に僕が考えないといけないのかなと思って、とりあえずたたきとして、いくつか案を出したら、多田さんが過敏に「これいい」と反応したから、あ、良かったと(笑)。
多田:名前はかっこいいほうがいい。日本語ではなく造語かなと思っていたんです。そこに突然、日本語の「新しい地図」が出てきて、しかも英語にしたら「NEW MAP」となる。
山崎:最初聞いた時、メンバーの進むべき道を内包している新鮮な名前だなと思いました。
権八:どうなるのか、まだ見えなかったけれど、これまでとは明らかに違うやり方で活動していくことになるんだろうなと思っていました。「新しい地図」という言葉に託したとまでは言いませんが、これまでと違う場所に飛び出して違うやり方で、どちらかというと自由にのびのびやっていくようなイメージを持つ名前を、いくつか考えたんです。
多田:「おいしい生活」のように、「おいしい」と「生活」という普段は別の世界にいる言葉を連結させることでスパークするコピーがある。「新しい」と「地図」はそれとは違って、実に普通の組み合わせなんだけど、組み合わさったことで3人のこれまでの人生、これからの生き方を一瞬で見事に言語化している!と思いました。実際、世の中にもそう見えたと思います。英語にしたとき「NEW MAP」となるのは、神様のお告げだと思ったけど、逆にそれを探し出して揶揄する人が出ると嫌だなと思ったほどでした。
権八:「新しい地図」という言葉が決まってからは、Brand Film内の宣言のフレーズも割と自然に出てきました。彼らを支える多くの人たちや彼ら自身の思い、そして自分自身の思いもこめて、書きました。
髙崎:「風林火山」と聞いて、かなり腑に落ちました。新しいグループ名には見えないし、一体なんだ?って最初に思ったんですけど、これはあの3人とその周りに生まれたひとつの「コミュニティ」の名前なんですね。ファンも自分たちも「新しい地図」の一員で、みんなが当事者意識を持てる。そういうコミュニティの輪郭をつくることってこれからのコミュニケーションが必要とすることかもしれない。
NARUHIRO GOMPA’S WORKS
新たに生まれたコミュニティ・コミュニケーション
髙崎:先日、ふと「最近ロンブーってテレビ出なくなったね」と言ったら、会社の若者に「出ていますよ、自分はよく観ています」と言われたんです。テレビを番組表通りに観る習慣がなくなっていて、自分の好みだけを追っているから気がつかなかっただけで。世の中にはロンブーのコミュニティがあり、マツコのコミュニティがある。マスの代表みたいなテレビですらそういう変化があって。
多田:広告の一つのカタチがコミュニティ・コミュニケーションであると考えると、いわゆるタレント広告はいまの時代にリニューアルされて、ひとつの答えになっているのかも。旧タレント広告は先に伝えたい情報があり、それをタレントパワーで拡散させていた。新タレント広告は、タレントではあるけど一人の生身の人間がいて、その人が自ら情報を自分のコミュニティに発信する。それが爆発すればマスになる、みたいになってきているのかな。
特にファッションは顕著で、海外ではインフルエンサーが新しい服を着てSNSにあげたら、それが店頭に並んで売れていく。それでマーケットが成り立つし、マスメディアを使う必要がなく、そこには胡散臭さもない。
山崎:コミュニティという言葉を聞くとこじんまりしているように感じるけれど、新しい地図を見ると、決してそんなことはない。だから、CMに出演すれば商品が動く。アップルや昔のソニーのようにユーザーが使い続ける中で商品に対する愛情が心の中に芽生えるのがブランドとするならば、新しい地図のメンバーとファンの間には長年培ってきた強固な絆があり、ブランドが確立されていますよね。それは彼らが真摯に誠意と覚悟を持ってファンと対峙してきたからだと思うし、それが新しい地図という名の最強のコミュニティになっています。
髙崎:逆の発想をして、新しい地図そのものが商品だと考えると整理しやすかったりもします。CMが彼らのメディアとしての機能を果たす。例えばオールフリーのCMに出ているけれど、それは彼らのコミュニティを活性化させるものでもあります。今までのCMと変わらないアウトプットに見えると思いますが、かなり方程式が変わった感覚のなかで作業をしていきました。
新しい地図はファンも含めみんなが同じ価値観、目的のなかにいるから、コミュニケーションの質も速度も驚異的で広告的にもずいぶんと助けられました。そのエネルギーはやっぱりファンの人たちが彼らの人生や未来に参加する、みたいなところから来ている気がします。
多田:新しい地図の場合は、いわゆるファンコミュニテイとはちょっと違うと思う。「存在しなくなるかもしれない愛する人たち」を生き返らせる、という大きなモチベーションがあるから。そこで発生したものはコミュニティというより「同士」に近い。革命に参加するような意識を共有してくれています。
山崎:自分たちにとってかけがえのないものが無くなるかもしれない状況に直面したから、ファンの感情移入の仕方が違いますね。
多田:これは計算してできることではないから。結果的に新しい地図はコミュニティと言えるかもしれないけど、他で同じようなことをしたとしても絶対に真似できない。
髙崎:確かに。そもそも「みんなが知っている」ということは偉大で、あの時のあの喪失感が日本中を一つにしたとさえ言えるかもしれない。
多田:どこか自分の人生とオーバーラップして彼らを見ている人が少なからずいた。
山崎:そう、特に今まで興味がなかった男性が自分の人生と重ねて共感して、頑張れよと応援していたから。
髙崎:世相も大きかった。いろいろなところで旧態然としたものから変わらなくては、という空気に満ちていたから。
権八:実は「新しい地図」になって、あらためてファンになったという人も多いそうです。昔はファンだったけれど少し離れていた人が、あの一件であらためて自分にとって大切な存在であることに気づかされたという。
山崎:VALUやSHOWROOMのように、いまは誰かに投資したり、応援するという時代。そんな時代の空気も後押ししたかもしれないね。
多田:みんなどこかのコミュニティに属していたいという気持ちもあるんだろうね。
山崎:多田が「まさにいまタレント広告じゃないか」と言ったけれど、YouTuberやインフルエンサーが商品を勧めるのと、昭和のタレント広告は当たり前のことだけど、まるっきり質が違う気がします。
例えばプライベートで高級車に乗っているタレントが軽自動車のCMに出演しても、以前は『広告に契約して出演してるのね』という前提がなんとなく許容されていたけれど、いまは「本当は高級車に乗っているのに」という事実がなんとなく気になる空気を感じる。広告のウソ、絵空事が際立つと言うか。一方でYouTuberが本当にその商品がいいと思って勧める、あるいは企業案件なら「これは企業案件です」というスタンスの潔さが誠実に見えたり。
権八:新しい地図はSNSなどのコミュニケーションでも、本当のことしか語っていないんです。例えばカレンダーが売れ残ったら、「売れてないから、みんな買って」と素直に言える。そういう風通しの良さがあり、全部本当のことを言おうというスタンスが、すごくいまっぽいと思います。
髙崎:SNSは表現にどんな影響を与えています?感情的なやりとりが増えたなあとは思いますが。
山崎:怒りの沸点が低くなってるよね。
髙崎:自分と価値観の合わないものをみて一次感情的にイラっとするのは昔も今も変わらないけれど、以前はそれを誰かに伝える面倒くささが冷却時間として機能してくれていました。
山崎:それが可視化されると、そんなことを考えていなかった人まですぐ同調してしまう。
権八:いまのコミュニケーションに見られる現象はよくも悪くも、全部SNSが顕在化したこと。タレントもかつては手が届かない存在だったのに、いまでは自ら降りてきて日常を切り売りしている。そういう流れになってきているから、これまでのような広告のつくり方は難しくなってきていると感じます。
TAKUMA TAKASAKI’S WORKS
伝わるメッセージは、熱量強め、脱中途半端
.――最近話題のハズキルーペやZOZOについてはどう思いますか?
多田:ハズキルーペは表現としては肯定したくないけれど、広告の成立の仕方としてはアリだよね、と思うところはある。誰か個人が「自分がいい」と思ったことをやるということは、広告として間違っていない気がする。
山崎:小津安二郎監督がものづくりについて聞かれたインタビューで「どうでもいいことは流行に従い、芸術のことは自分に従う」と。コアにあるのは自分で、表層の部分はその時代に合わせてやりたいことをやればいいんじゃないかということだよね。
多田:全く方法は違うけどZOZOの前澤さんもすごい熱量を感じますね。イーロンマスクの宇宙船に乗ることも宣伝だと揶揄する人もいる。だけどあの宇宙旅行で無事に帰れる生存率は100%ではない。もしかしたら半々くらいかもしれないし。それを覚悟しているのだとしたら天晴れです。
山崎:賛否はあるにせよ、圧倒的な熱量は人に届く。そんなパワーがあるメッセージがネットニュースの見出しになっている時代にCMの誰からもクレームが来ないように忖度した自画自賛だけの中途半端なメッセージは届かない。その一方で、YouTuberの動画の強みを感じることがたまにあります。先日もあるYouTuberがコンビニで売っている焼きそばの食べ比べをしていて、これうまい、これまずいとCMではしてはいけないと言われている比較をしていたんだけど、やはり説得力がありました。妙に納得させられたりして美味しいと言っている商品を食べてみたいと思った。
髙崎:先日、宣伝会議の講座でアメリカのペプシとコーラの比較広告をたくさん見せたら、みんな大爆笑で。僕らは「比較広告は日本人のメンタルと合わない」とずっと教育されてきましたが、メディアと人の関係が変わりつつあるいま、疑いもせずにタブーと思っていたようなことって、もっと積極的に疑ってかかったほうがいいかもしれないと思いました。スマホで観るものとテレビで観るものは、生理が違うからそこにも進化のヒントがある気がします。
多田:面白ければなんでもアリなんじゃないかな。世の中に競合している商品はいっぱいあるからね。
髙崎:いまだからこそいろんな競合会社が品良く比較広告やってみたらいいんじゃないかと思います。
多田:例えば競合している企業が同じタレント、同じ予算、同じ秒数、同じ出稿量で、同時にそれぞれの新商品のCMをつくってオンエアするとかね。そういう公開比較広告にすれば、企業の商品が傷つくことはないし、市場が活性化して見えるんじゃないかな。今の時代、競合は同じ市場の他社製品じゃなくて、別の市場になっている場合もあると思う。
山崎:価格.comや口コミなど、いま相対で比較することが当たり前の時代になっているのだから、楽しく比較広告してもいいんじゃないかなと思う。感じ悪い比較広告は淘汰されるだろうし、あくまでもユーモアを持って。そのためにも制作者には、愛情を持って忖度しないというスタンスが求められるんじゃないかな。
多田:例えばテレビ局も各社が視聴率争いしているけど、NHKの大河ドラマに対抗するために、民放が一丸となって大予算で民放大河を作るとかね。それが盛り上がれば、そのCM枠も元気になる。ただその枠に入れるのはCMの面白さを競うコンペに勝つのが条件。みんな面白いものをつくろうと競い合うし、そこでしか見られないものには価値が生まれる。新しい広告は表現の新しさも大事だし、広告の価値を新しくすることも大事。
TAKU TADA’S WORKS
言語化できないところに本当のアイデアがある
髙崎:最近「非マス」という言葉をよく耳にするんですが、なんとなく「非マス」「マス」という線を最初に引いてること自体が古い気がして。そもそもそんな線はもうなくて。マスっぽくないものを、って考えてアイデアを考えはじめるとどうしてもそこにダイナミズムが不足しがち。そういう線を引く前にどうやってダイナミズムを作るか、を入口にしてあとでそれを実現する手段を効率よく選べばいいんじゃないかと思います。
権八:いまストプラやマーケが中心になって企画を進めるケースもあると聞きます。
多田:オーソドックスな広告設計は、まず課題があり、ターゲットを分析して、マーケティングから戦略を立てて、その延長線上に「解」を導き出すという感じだと思う。複数の解が求められれば、その延長線上の解が複数用意される。でもそれらの解は必ず直線上なので2次元なんだよね。人を驚かすアイデアは必ずどこかでジャンプがあるから、そんな解は課題に対して3次元に位置しているようなもの。もしも2案作れるんだったら、一方は2次元的に、もう一方は3次元的に解を導き出してみたらいい。
今、コンピュータの世界では、ディープラーニングをさらにディープラーニングさせているらしい。そうすると、なぜそうなったのかがわからない解が出てくる。だからその解を逆方向から解析していると聞きました。
人間は言語化できるものしか他の人に伝えられないからどうしても言語化して説得したがるけど、本当はディープラーングをディープラーニングするようなことが、頭の中で行われている可能性がある。その言語化できないところにあるものこそ、面白いアイデアではないかと思う。そこの部分を、世の中の人はもっと大切にした方がいい。未知なるところから出てきたアイデアでなければ、「非マス」であろうとなかろうと本当の意味で人を動かすことができない時代になってきていると思います。
山崎:ロジックで説得力だけを追い求めても、右脳で反応する影響力のある広告は作れないということかな。
TAKAAKI YAMAZAKI’S WORKS
わからないことは、わからなくていい
権八:バッシングやクレーム、コンプライアンスなどいろいろなことが言われるけれど、そういうことの配慮の過剰さはますます増しています。
髙崎:萎縮がいちばん厄介です。
山崎:例えば最近日清のWebを含めたマーケティングが話題を集めていますが、覚悟を持ってやっているからこそ他より目立っていると思うんです。日清的な思い切ったことをやってほしいというクライアントがたまにいますが、いざプレが進むと、ここまではできませんと。
権八:日清食品は、マスでコミュニティ広告をやろうとしているように見えます。だから、ある層には確実に届いているはずで、そこには覚悟があるし、届けたい人だけに届けばいいという割り切りもあるような気がします。
山崎:やはり覚悟が決まっているから、他が真似しようと思ってもできない。
多田:すべてをわかろうとするよりも、わからないことはわからないでいい。人間は完全にわからないものはシャットアウトして、無視してしまう。でも「わからないことがわかる」ものは、わかりたいと思い、わからないから何だろうと考える、それがいい。
山崎:わからないものに対する許容度が低いよね。あと、表現の理解度が下がってるのかなあ。広告にちょっとレトリックを入れると、あれ意味わからないとツイートされたりもする。
権八:理解できない=大嫌いに直結してしまうのはよくないのに、すぐにそういう反応をする人が増えていますよね。
多田:新しい可能性を摘む可能性もあるんだよね。
権八:最近、新聞広告に関する講演依頼が増えていて、あらためて見直してみると新聞広告はいまチャンスかなと思います。新しい地図の新聞30段もSNSの大きなバズの起点になったし、その効果を可視化さえできたら、新聞は実は面白いことができそうなメディアです。
髙崎:メディアは人との関係で常に変化してるものだから、誰かに与えられた常識を疑いつづけなくちゃいけないってことかもですね。見たかったけど、そういえば見たことなかったものって、まだまだある気がします。
山崎:過去の成功体験を捨てて、どれだけいま何をすれば世の中に広がるのか、の1点だけシンプルに考えればいいかな、と思います。
権八:新しい地図の仕事では僕らは意図したわけではなく、コミュニティ・コミュニケーションの最前線に立ってしまったわけですが、そのやり方が多くの人にとって新しく見えて、そこに希望を感じてもらえたのならよかったのではないかと思います。
多田:こないだのバンクシー(※)は痛快だったね。作品が1億5千万円で落札された瞬間にシュレッダーに!どういうこと?何がしたいの?と。「アートが金持ちの投資目的になるのはおかしい」というメッセージなんだよね。それを探りたいという知的欲求をくすぐる導火線になっている。広告はそもそもバンクシー的。ゲリラっぽいし、突然現れる。今後新しく生まれる広告もそんな風に見えるといいなと思う。突然現れて何?って。「わからない」という幸福があるんだって。