世の中でヒットしている商品は、どのような道をたどって生まれ、その後定着して、「スタンダード」になっていくのか。さまざまな商品の原点から現在までを人気ユニット「いきものがかり」の水野良樹さんが、自らの曲作りと重ね合わせてインタビューします。

(左) バスクリン広報専属 博士(スポーツ健康科学)/温泉入浴指導員/睡眠改善インストラクター
石川泰弘
(右) いきものがかりリーダー。ギター・作詞・作曲担当 水野良樹
Photo:Hokuto Shimizu/parade/amanagroup for BRAIN
時代と共に変わる入浴剤のあり方
水野:入浴剤を開発する際に、御社が一番大事にしていることを教えてください。
石川:バスクリンでは「安心・安全」を第一に据えた上で、そこにちょっとした感動を付け加えた商品を提供していきたいと考えています。入浴効果を高める入浴剤ですが、みんな同じ機能だと思われがちです。しかし実際には大きく分けて4つのタイプがあり、狙った効果は異なります。
1つは硫酸ナトリウムを主成分としたバスクリンのような粉タイプで、湯上りホカホカを謳ったものです。2つめは炭酸ガスが出るタイプで、これは血行促進から代謝機能を高めて体の内側から温めるという効果があります。3つめは保湿効果の高い液体タイプ。全身を保湿することができるため、幅広い世代から人気があります。4つめは主に夏に販売するクール剤です。有効成分の重曹が体の汚れを落とし、メントールが体をスーッとさせるという効果があります。
水野:社員の方が実際に自分で試しながらつくっていくのですか。
石川:開発は研究所で研究員が行っていますが、彼らは職場でも家でも試します。他部署の僕らにも試作品が回ってきて、それを家で試して、彼らにフィードバックします。その際に「これは買いたくない」「香りが弱い」など、かなり厳しい意見が出ます。その後は社外でモニターを使ってテストをしますが、社内を通ったものであればだいたい通るというほど、社内のチェックのほうがシビアです。それは当然のことで、私たちは新商品が売れてくれないと困りますからね(笑)。
水野:シビアなテストを通って世に出た商品でも、ヒットするものとしないものがあります。その差はどこにあると思いますか?
石川:「いまの時代に合っているか」と「ちょっとした感動がある」というのが、大きなポイントだと思います。弊社の成り立ちを振り返っても、まさにその繰り返しだったと思います。明治30年に日本初の入浴剤として発売した「浴剤中将湯」は、「中将湯」という生薬の残渣を弊社社員が持ち帰って「たらいのお風呂」に入れたところ、「体がいつまでも温かい」「子どもの湿疹が治った」という声があがったため、当時の入浴の主流だった銭湯に向けて商品化したものです。
その後、銭湯から「夏向けのものはないの?」と言われて開発したものが、昭和5年に誕生した「バスクリン」です。このときの「バスクリン」もオレンジの粉を入れるとグリーンのお湯になるというものでした。
時代とともに入浴剤を使う目的が多様化して保温から疲労回復や温泉情緒などが出て、温泉の持つ効果を目的に開発されたのが、2003年に発売した発泡タイプの「きき湯」です。これはテレビ番組で取り上げてもらったことで、ヒットしました。炭酸ブームもあり、今では弊社の主力商品となりました。入浴そのものの効果が変わってきたということはありませんが、時代のトレンドと共に、入浴剤のあり方が変化している。そのため、何がいまトレンドなのかは開発時に常に意識していますね。

明治30年に発売された日本初の入浴剤「浴剤中将湯」(左)と昭和5年に発売された芳香浴剤「バスクリン」(右)。

現在発売されている商品。左から「バスクリン」「きき湯」「きき湯 FINE HEAT」。

生薬、温泉などの天然成分を製品に活用するという開発方針は、100年以上一貫している。
広報マンがさまざまな資格を取得する理由
水野:石川さんの名刺を拝見すると、「販売管理部営業企画課マネージャー広報専属」の下に「博士(スポーツ健康科学)」とあります。これは大学院の博士号ですか?
石川:そうです、働きながら大学院に通って博士号をとりました。実は私は博士号を取る以前から「お風呂博士」と名乗っていたんです。バスクリンがツムラから分社したタイミングで広報担当になり、会社や商品のPRをどのようにやっていくかと考えたとき、「人」を立てたほうが伝わる速度が速くなる、と思ったことがきっかけです。
例えばメディアから取材の問い合わせが来たとき、通常は広報室からブランドの担当者に連絡をして…と、どうしても時間がかかってしまいますが、自分が全部答えられるようになれば効率的に仕事ができます。そのとき、表に立つ人の名前が「石川」ではキャッチーではないので、「お風呂博士」と名乗りました。それから2、3年が経った頃に「博士を名乗るなら、本当に博士になろう」と思いついたんです。
水野:かなりの決断ですね(笑)。博士になろうと思ってからはどうされたんですか?
石川:面倒を見てくれる大学を探そうと、Webで調べたり、電話で問い合わせてみたりしました。そのときに、順天堂大学大学院の受付の方が教授につないでくれたんです。その後、実際にお会いして、「先生、僕も博士号を取れますか?」と聞いたら、「頑張れば取れるんじゃないの」とおっしゃってくれたので、その場で受験することを決めました。それからは働きながら博士課程前期2年後期3年の合計5年間、大学院にお世話になり学位をいただきました …