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名作コピーの時間

コピーライターになれと言ってくれたのは一人だけだった。

黒澤 仁

    恋が着せ、愛が脱がせる。

    伊勢丹/1988年
    〇 C/眞木準

    ねぇ、手とかつないでみる?

    東日本旅客鉄道/1995年
    〇 C/星夫、岡康道

    泣かせる味じゃん

    サントリー/1983年
    〇 C/梅本洋一

スターの、ことば。

二十七歳の秋。僕はあるハウスエージェンシーで広告制作とは無縁の仕事をしていた。とくに不満もなかったが、大した夢もなかった。当時、一緒に遊んでいた後輩がコピーライター養成講座に通うと言い出した。夢を語る彼を斜めに見ながら、「お前が行くなら俺も行く」と連れション感覚でついていった。通い出して一カ月。目の前にスターが現れた。全身クロの出で立ちで"ギョーカイ臭"を漂わせ、彼は自らのコピーを「ダジャレではない、オシャレだ」と言い切った。色気のある言葉、何かをたくらむ目線、僕は一瞬でコピーライターという職業に恋をした。

三十三歳の春。TCC新人賞で一次通過をうろうろしていた頃だった。こんどのスターはスーツを着てやってきた。クリエイターなのにスーツ。それが彼のトレードマークだった。きっかけは会社で行われたクリエイティブ塾。その塾でプロ野球のCMを考える課題が出された。僕が提出したのは、肩を冷やさないために夏でも冷房を使わない投手の日常や二十五歳でクビになる若者の苦悩を表現した企画だった。

「コピーライターなんかやめて、プランナーになれよ」それが彼の講評だった。リップサービスだったと思う。でも何者でもない僕にはとてつもない勇気になった。机の引き出しには、彼の作品を集めたDVDがある。何百回見ただろうか。ずっと背中を見つめている …

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コピーライターになれと言ってくれたのは一人だけだった。(この記事です)
僕はコピーライターの難しさと奥深さを味わっている。
手品みたいに出してくるやつが一番だめなんです。
コピーや広告についての 「よく出来てるね」という感想が苦手です
僕は法学部なのにコピーライターを志望する確信犯になった。
「どう言うか」にバカみたいにこだわる。 
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