2016年に同社130年ぶりとなる新ブランド「百黙」を発表した菊正宗酒造。同年にはこれまでにない斬新なデザインのパック酒「菊正宗 しぼりたて ギンパック」も発売した。いずれも、2017年に就任した新社長の指揮の元で開発されたものだという。
地元企業としての熱い想い
1659年(万治2年)、徳川4代将軍家綱の時代に創業し、350年を超える歴史を誇る菊正宗酒造。同社の看板ブランド「菊正宗」が誕生して130年が経過した2016年、菊正宗以来となる新たな日本酒ブランド「百黙」が発表された。
新ブランドの誕生の背景には、「地元で灘五郷のお酒があまり飲まれていない」という危機感があったと菊正宗酒造 営業部宣伝・広報担当の宮内大輔さんは話す。菊正宗酒造が本社を構える灘五郷(兵庫県神戸市から西宮市にかけての一帯)は、「日本一の酒どころ」と呼ばれ、菊正宗以外にも、白鶴や剣菱酒造など全国の名だたる酒造メーカーが集中するエリア。国内の日本酒全体の約3割は、灘五郷で製造されている。
だが、地元神戸の居酒屋で目にするのは、東京からの旅行者が山口の地酒「獺祭」や新潟の地酒「八海山」を注文する姿だったと宮内さんは言う。
「『菊正宗』はおかげさまで往年のファンに長く支えられてきたブランドです。特に東京では老舗の蕎麦屋などで何十年もお世話になっており、『菊正宗~辛口ひとすじ~』というコピーもおなじみのものになっています。しかし知名度がある分、"いつでもどこでも飲める酒"と思われてしまい、地酒を好んで飲む若い人にとっては神戸の酒だと知っていても、"僕らの酒"という意識は薄かった。それを見て、当時の商品開発チームでも『悔しい、何とかしたい』と話していたんです」。
地元を味方につけてこそ、企業は長く存続できるものになる。目指したのは、まずは地元の人に愛され応援してもらえる存在になることだ。そこで2013年、嘉納逸人副社長(現社長)は、宮内さんをはじめ、同世代である30代、40代中心の社内若手メンバーを中心に、「新ブランドプロジェクト」をスタートさせた。
元々菊正宗は、燗酒として老舗の飲食店で愛されてきたブランドだ。それならば新しいブランドは、冷酒として飲める、女性にも飲みやすいお酒で勝負しようと決めた。そして、注目したのは原料の「兵庫県産山田錦」と「宮水」だった。
灘五郷が「日本一の酒どころ」になったのは、最高の酒米と呼ばれる「兵庫県産山田錦」が育ち、また、ミネラルを多く含み酒造りに適した硬水「宮水」が採れるからだと言われている。同社では、1927年(昭和2年)から地元の山田錦の農家と専属契約して「嘉納会」を結成し、その米を酒造りに使っている。また、宮水の井戸も、灘五郷の中で最も多い16基を保有する。
「我々にとっては当たり前のことになっていたので、これまであえて発信することはありませんでした。しかし今回、改めて自社の資産を掘り起してスポットライトを当て、契約している特A地区産の山田錦のみを使用することを新ブランドの横串にしました」。こうして2013年から14年にかけて社内で議論を重ね、嘉納会 特A地区産 山田錦を100%使用した純米大吟醸酒が開発されていった。
多くを語らずに伝える「百黙一言」のコミュニケーション
プロジェクトが始まってから約1年が経過し、その中身が固まってきた頃、開発プロジェクトのメンバーはアートディレクターの佐藤卓さんにコミュニケーション面のアドバイスを求めに行った。「味は自信のあるものができそうでしたが、我々だけでイメージ通りのものをつくることは難しい。そこで、ご縁のあった佐藤さんに相談することにしたんです」と宮内さんは話す …