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あれから10年

自分がどうあるべきか、志を持って仕事をする

SPRING  李 和淑

10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考え、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。今回は、サン・アドから独立しSPRINGを立ち上げたコピーライター李和淑さんです。

SPRING
コピーライター/クリエイティブディレクター
李 和淑(りー・ふぁすく)

サン・アドを経て2008年にSPRING設立。独立後の代表的な仕事はナショナルジオグラフィック、スズキパレット、スズキワゴンR、第四銀行、コーセーファシオ、コーセーエスプリーク、NIKE WOMEN、チュチュアンナなど。ネーミングにマーチ・エキュート、ルミネ ゼロなど。クリエイティブアドバイザーとして企業のブランディングや商品開発、コンセプトメイキングにも携わる。
Photo:Hikaru Otake/parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の李さん

──10年前に、独立しようと思ったのは?

私がコピーライターになったのは、二十歳。そのときから「いつかは独立する」と決めていました。そのためにできるだけ良い仕事をしようといくつかのプロダクションで20年働き、40歳になる節目のときに「そろそろいいかな」と思って独立しました。40歳を過ぎると会社を辞めるのが不安になって、腰が引けちゃう気がしたんです。なので、ちょうどいい年齢だったと思います。

──40歳で独立という目標に向けて、ずっと準備も進めていたんですか?

そうですね、いつか独立する日をずっとイメージしながら仕事を続けてきました。2年間ぐらいは仕事が全く来なくても大丈夫なように貯金もしていました。会社をつくっても基本的に自分ひとりしかいないので、自分だけが食べていければいい。だから、独立したときは不安よりも期待のほうが大きかったですね。

──独立する際に思い描いた「理想のコピーライター像」はありましたか?

サン・アドにいた頃は会社に来た依頼を振り分けられる形で仕事をしていたので、自分が直接指名されることはほとんどありませんでした。独立後は、自分に直接指名が来るわけですから、志を持って仕事をしなくては、と思いました。

メールやファックスで「良いコピー1本ちょうだい」とお願いされて、書いて送るだけのコピーライターになるのか。クライアントや広告会社ときちんと向き合って仕事をするコピーライターになるのか、そこは自分の志次第。自分がどうあるべきか、きちんと意志を持ってやっていくことが大事だと思いました。

サン・アド在籍時にはクリエイティブディレクターとしても仕事をしていたので、ただコピーだけを書くということではなく、オリエンを聞きに行って、プレゼンの場にも出席するなど、コアな部分にも深く関わることができて、そこに対してきちんと責任を持てるコピーライターになりたいと考えていました …

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