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あれから10年

コピーライターの仕事領域を拡大するために、進めてきたこと

ホンシツ 斉藤賢司

10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考え、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。今回は博報堂から独立し、ホンシツを立ち上げたコピーライター 斉藤賢司さんです。

ホンシツ
コピーライター/クリエイティブディレクター
斉藤賢司(さいとう・けんじ)

博報堂を経て、ホンシツを設立。広告のコピーライティング、CMプランニングから、ネーミング開発、商品・サービス開発、ブランディング、コミュニケーションのコンサルティングまで幅広く手がける。
Photo:Kenichi Shimura/parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の斉藤さん

チーム全員が共有して使える言葉をつくる

──10年前に博報堂を辞めて独立しようと思ったきっかけを教えてください。

90年代の終わり頃、大貫卓也さんがペプシのボトルキャップをデザインしたり、佐藤可士和さんがメディアまでデザインするなど、アートディレクターが仕事の領域を拡大していました。それを横目に見ながら、僕たちコピーライターは何ができるのかを考え、自分も独立してコピーライターの領域を拡大したいと思ったんです。とはいえ、なかなか決心がつかずに7年間悩み続け、気づけば37歳。年齢的に限界と思い、当時の上司に切り出しました。

ありがたいことに「それは博報堂でもできるんじゃないか」と留意していただきまして。2カ月くらい何度も話し合いました。僕は学生時代バックパッカーだったんですが、最後、「インドや南米に行ったのと同じなんです。ただ行きたいんです」と言ったら突然その上司が笑い出し、「わかった。要は"男の子だから独立したい"ってことね。インドに行くのと独立は同じだなんて奴、止められねーよ。じゃあ頑張れ」と言ってくれたのを覚えています。

──「独立するには37歳が年齢的に限界」と考えた理由は何ですか?

40歳までには独立後の環境を整えておきたいと考えたからです。新しい環境に慣れるまでに3年はかかると思ったので、37歳になったときに今がもう限界のタイミングだなと思いました。

──独立直後、苦労したことは?

同世代の独立した仲間から「博報堂時代の仕事は整理したほうがいい。心機一転スパッと切ったほうが新しい仕事が増える」というアドバイスを受けて、どうしても外せないものを2件程度残して整理したところ、全く仕事が来ませんでした(笑) …

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