クリエイターのオフィスを訪ねると、よく見かける、大きな本棚。忙しい仕事の合間に、クリエイターたちはどんな本を読んで、どのように仕事に生かしているのか。今回は、歌人の木下龍也さんです。仕事や人生に影響を受けた本について聞きました。

『哲学・航海日誌』
野矢茂樹(著)
(春秋社)
ゆっくり進むボート。進んでいるのかわからないほどゆっくり。後ろに進んでいることもある。あれ、そもそもどっちが前なんだろう。どこか行くべき場所があるなら、だれかがつくったあの橋を渡ったほうがはやい。もしかしたらこのボートは沈むかもしれない。あ、沈む。ぶくぶく。この湖、思ったより深い。ぶくぶくぶく。ああ、だんだん苦しくなってきた。そろそろ浮かび上がろう。よいしょ、よいしょ、なかなか浮かび上がらない。よいしょ、よいしょ、よいしょ、ぷはーっ。
さて、あなたはボートが沈んだときと同じ位置に浮かんでいる。進んではいない。けれどなぜか、謎の達成感がある。てのひらにはなんだかきらきらしたものが絡み付いている。みたいな本だ。
短歌は生きていくうえで必要なものではない。短歌を書き始めてしまうと、ひとつのものごとについてずっと悩み、だれもが素通りするところでつまずく、ということを繰り返すはめになる。哲学もおそらくそういうものなのではないか。つまり、どちらも不要で不健康だ。ないほうが生きやすい。けれど、哲学も短歌もない人生に僕はもう戻れない。どちらもない人生なんて、あまりにも長くて、すぐに飽きてしまうだろうから …