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あれから10年

これまでのキャリアが生かせる新しい「場」をつくる

BASE

10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考え、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。今回は、BASE 西島知宏さんにお話を伺いました。

BASE
西島知宏(にしじま・ともひろ)

2003年電通入社、コピーライターとして勤務。2007年退社し、BASEを設立。2015年「街角のクリエイティブ」を立ち上げ、月間100万PVのメディアに成長させる。著書『思考のスイッチ~人生を切り替える11の公式~』は日韓で発売。日本ではAmazonビジネス企画ランキングで1位を獲得。2017年より奈良新聞社取締役としてメディア事業に取り組んでいる。新しいライターのカタチを考える「明日のライターゼミ」も主宰。ニューヨークフェスティバル、スパイクスアジア、アドフェスト、TCC賞、日本新聞協会賞など国内外で受賞歴を持つ。
Photo:parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の西島さん

自らWebメディアを立ち上げる

──電通を辞めたのは、29歳。かなり早い独立でしたね。

いま振り返ってみると、大きな勘違いをしちゃった、という感じです。電通に入社して、すぐにTCC新人賞を受賞し、翌年にはTCC賞を受賞。在籍時も自分でクライアントを見つけて仕事していたので、これだったら自分でできると思ってしまったんですね。一方で、当時から自分がリスクを取る代わりに、自分の納得がいかないことはやりたくなかった。大きな組織は自分に向いていなかったのかもしれません。

BASEを設立した当初は、一人でコピーライターとして仕事をしていましたが、2年目にデジタル系のスタッフなど8人を採用しました。当時は、なぜコピーライターがデジタル?と思われていたのですが、近い将来、コピーライターが既存のマス媒体だけでコピーを書いたり、広告表現が完結したりする時代は終わるのではないかと思っていました。広告か、広告じゃないかはわかりませんが、デジタルなクリエイティブへの会社としての取り組みは不可欠だと思い、体制を整えました。

はじめから仕事があったわけではないですが、しだいに電通やADKから仕事が入りはじめ、順調に進んでいきました …

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