10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考えて、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。第11回目は、タイガー タイガー クリエイティブ 西脇 淳さんにお話を伺いました。
──10年前に箭内道彦さんの風とロックを中心とした風グループに入ったのは?
大広を経て、2007年に風グループの関西ブランチとして「風とランディ」(通称:風トラ)を立ち上げました。大広時代、僕はいくつかの広告賞をいただいたけれど、それは賞を獲るためのクリエイティブ。モノを売るために真剣勝負で広告をつくっている人たちとは全く違うゲームをしている感覚がありました。
広告の仕事をしていると言いながらも、広告の本質を知らないまま死んでいくのでは──そんな焦りがありました。「本当の広告」をつくりたかった。そんなことを思っているときに、「風とロック」だけじゃなく「風とバラッド」という新しい展開をスタートさせていた箭内さんに会いに行くことにしたんです。
──箭内さんの反応はどうでしたか?
当時の僕はすがるような目で見ていたのだと思います(笑)。「大阪でクリエイティブエージェンシーをやりたい」と話したら、「すぐにやろう。西脇が風とバラッドに入るよりも、大阪にそういう会社をつくるほうが面白い」と言ってくれて、「風とランディ」を2007年7月に立ち上げました。
当時は大きな競合プレゼンも多く、本当の広告の闘いの打席に立っているという喜びを感じました。例えるなら、地方の独立リーグからメジャーリーグにフィールドが変わった感じ。もちろん、その打席に立つとまた次の目標が生まれ、勝つことが求められます。その厳しさはありましたが、とにかく打席に立てることがうれしかったですね。
──その後、2011年には風とランディの組織を再編されていますね。
2011年に東日本大震災が起こり、グループとして全体を見直そう、それぞれの地元を大事にしようという流れで、箭内さんは地元福島で活動をはじめ、風とランディは大阪で「今日」という名前に変えて、福岡では中村聖子さんや稗田倫広くんと「明日」という会社をつくりました。1年間、「今日」と「明日」で活動をして、2012年5月に「風トラ」に社名変更しました …