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あれから10年

会社の2本柱は、グラフィックデザインと活版印刷

高田 唯(Allright Graphics)

昨年から今年にかけて、設立から10年目を迎えたデザインオフィスやクリエイティブエージェンシーが多く見られます。10年前に独立した人はどんな背景から、どんなことを考えて、自分の場所を築いたのか。そして、この10年の間にどんな変化があったのか。第10回目は、Allright Graphics高田唯さんにお話を伺いました。

Allright Graphics
高田 唯(たかだ・ゆい)

アートディレクター、グラフィックデザイナー。1980年生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。2006年Allright Graphics設立に参加。2007年活版印刷工房Allright Printingを発足。同年PAPIER LABO.発足に参加。2017年Allright Music設立。同年、クリエイションギャラリーG8で「髙田唯展 遊泳グラフィック」を開催。東京造形大学准教授。
Photo:Kenichi Shimura/parade/amanagroup for BRAIN

設立当時の高田さん

──10年前に独立した理由は?

当時、僕は水野学さんのgood design company(gdc)で働いていたのですが、いつかは独立したいという気持ちがありました。同時に、同じグラフィックデザイナーである父・高田修地と一緒に仕事をしてみたいという思いがありました。2007年に、それが急に現実的なものになりました。父が倒れて余命が長くないとわかり、急ではありましたが、水野さんに無理を言って、父と姉(北條舞)と僕の3人で、実家を事務所としてスタートしました。gdcは3年で卒業、当時僕は26歳でした。

──高田さんにとってお父さんはどのような存在だったのでしょうか?

父は表現者というよりはダイアグラムのような情報を整理することや、デザインの概念が好きな人に見えました。父の仕事を意識するようになったのは、桑沢デザイン研究所に入り、デザインにどっぷり浸かり、ようやくデザインが自分ゴトになった頃です。僕は父が45歳のときに生まれた子だったので、父がやってきた仕事、考えてきたことを吸収しておきたいという気持ちは、割と早い時期からありました。

──家族3人、実家で、どんな風に仕事を始めたのですか。

当時は家にMacが1台しかなかったので、僕と姉が交代で作業をして、父にアドバイスをもらったり、時には一緒にアイデアを出したり。父は手書きでロゴマークなどのデザインをしていました。僕らがつくったものを父に見せるのですが、父はあまりいい、悪いと、意見を口にしなかったですね。

最初はとにかく会社を続けるために仕事は選ばずに何でもやっていたので、オーバーワークで僕が倒れたら姉がやり、姉が倒れたら僕と、とにかく毎日必死でした。独立5年後に父は亡くなったのですが、大変な毎日ではあったけれど、家族で濃密な時間を過ごすことができたと思っています ...

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