IDEA AND CREATIVITY
クリエイティブの専門メディア

           

スタンダードへの道

表現のスタンダードを考える

水野良樹(いきものがかり)/東畑幸多(電通)

今回の「スタンダードへの道」は番外編。8月に「コピージアム2017」において行われた水野良樹さんと東畑幸多さんの対談から、歌や広告におけるスタンダードとは何かを探ります。

95%のロジックと5%の自分

東畑:水野さんは多くの人に自分たちの曲を聞いてもらおうと、ひとつのカテゴリーにおさまりきらないように意識して曲をつくっている印象があります。

水野:音楽はそもそも好きな人が集まる場があるので、そこにだけにボールを投げていれば、それで成立してしまうところがあるんです。でも、僕はそれがつまらないし、自分はそういうことができなくて。なるべく不特定多数の人に、むしろ自分がわかり合えない人にこそ届かなければつくっている意味がないと思っているんです。広告も不特定多数の人に向けてつくっているので、音楽と意外に通じるところがあるんじゃないかなと思って。

東畑:広告は目的が明確で、ブランドや商品を拠りどころに表現を考えていくのですが、歌はどこから始まるのでしょうか。

水野:例えば「世の中はこうなってほしい」というメッセージを投げて、皆さんに届きました、では、つまらない気がしていて⋯。自分たちの曲で言えば、結婚式で新郎新婦がお父さん、お母さんに花束を渡すときに、「ありがとう」という曲が流れることで、そこに新たなコミュニケーションが生まれていく──そうやって、自分のメッセージとは関係なく、世の中に自然に波及していく方が、僕のつくった歌が世の中を変えているような感じがするんです。そうなるように願いながら、いつもつくっています。

東畑:その感覚は、とても近いですね。僕たちも商品やブランドとして伝えるべき情報はあるのですが、そこだけで終わってしまうとあまり面白くない。人に対してポジティブな気持ちや新しい視点を持っていただいたり、CMを観た人の気持ちになんらかの化学反応を起こすようなものを、広告のどこかに入れたいという気持ちは常にあります。

これは歌も近いかもしれないですけど、思いついたとき小爆発して、形になった時に爆発して、伝わった時に大爆発するという。なので、できあがったとき以上に世の中に投げかけて、なんらかのリアクションやポジティブな反応があると、すごくうれしくなりますね。

水野:こんなことをお聞きするのは失礼かもしれないんですけど、広告は自分事としてつくることができるものなのでしょうか。商品があり、クライアントがいて、明確な目標や目的があって仕事を発注されるじゃないですか。そこに自分のクリエイティビティを乗せていくときに、どこまで自分事として、どんな距離感で考えていくのかという。

東畑:難しい話ですが、結果から言うと、仕事と自分は繋がっていなくてはダメだと思っています。そうでないと、ルーティーンワークになってしまう。

例えばサントリー天然水の場合、これまでにブランドが積み重ねてきた歴史、天然水という商品が持つ普遍的な価値が何なのか、まず縦軸で考えます。それとは別に、もう1つ。天然水が今の時代にどんな価値を持っているのか、横軸でも考える。普遍性と時代性をかけ合わせてメッセージやアイデアを考えます。この横軸、時代性を考えるときには、自分が入ってしまうんです。

それは歌をつくるときの比率に比べたら、少ないのかもしれないですけど。95%ぐらいがロジックでできていて、5%は自分を入れている感じです。その案配がとても大事だと思っています。人の気持ちを動かすのは、やはり個人的な想いだったりするので、伝える情報を整理するときはロジックですが、それがマジックになる瞬間があるんです。

水野:ロジックからマジックに、なるほど。

東畑:そのロジックじゃない5%の部分を考えるのが、広告を仕事にする面白さなんだと思います。

水野:縦軸は、基本的にいままであったこと、つまり歴史的な背景だから、学べば一通りは把握できます。でも横軸はご自身の解釈で、いま世の中を見てこういうものが求められているという価値観を、この商品に結びつけていくという感じですよね。

東畑:そのパーソナルな視点が、時代性を捉えるときに、すごく大事ですね。例えば「ありがとう」という歌も、多分いまつくるのと10年前につくるのとでは全然違うと思うんです。

水野:大先輩の阿久悠先生が没後10年で最近クローズアップされていて、僕もいま勉強し直しているんです。あの方は27年間、ほぼ1日も欠かさず日記を書いていたんですね。その日記には、そのときに世の中で起きていること、ニュースなどの中から、毎日5つくらい選んで書いていらした。何を重視して書いたかというと、そのときの自分の感覚がどこに向いているかということ。先ほどの座標軸の話のように、時代に対する自分の尺度を見ながら、歌づくりをされていたんです。

東畑:阿久悠さんのドラマで、ネタ帳に貼りつけた新聞記事を見ながら、「また逢う日まで」を作詞した話がありましたね。それまでの別れの歌は、男が去って女の人が泣くのが定番だったけれど、女性の社会進出の記事を見て、これから違う。「二人でドアを閉めて」と男女が同時に出ていくという歌詞を考えた姿を見て、なるほどと思いました ...

あと61%

この記事は有料会員限定です。購読お申込みで続きをお読みいただけます。

お得なセットプランへの申込みはこちら
ブレーンTopへ戻る